鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

GW伊豆旅行(1)渋滞を抜け稲取へ

今週のお題ゴールデンウィーク2017」

5/3~5/4に伊豆に行ってきました。

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始めは4時半過ぎに出発するつもりでいましたが、その日東名は6時台から30キロ以上の渋滞との予想を見て、前夜に出発予定を慌てて1時間ほど繰り上げ。
3時45分ごろ三郷JCTを過ぎて首都高に入ります。
しかし、情報表示板にさっそく東名15キロ渋滞との情報。
この時は、これでも遅かったか・・・と思いましたが、どうやら前日の晩から渋滞が途切れず続いていたよう。さすが下り渋滞のピーク(予想日)だけあります。

首都高自体は至って順調で、4時15分ごろ用賀を過ぎ東名に。
最初のうちは順調で4時半ごろ横浜町田ICを通過しましたが、その数分後、渋滞にはまります。
秦野中井IC付近を先頭に断続25キロ渋滞との表示。
東名の渋滞は関越などよりは車が流れる印象がありましたが、思ったより車が進みません。
結局、横浜町田IC通過から厚木ICまで45分くらいかかって、5時15分ごろ小田原厚木道路に脱出。
(後で見てみたら、東名の渋滞はその後45キロ以上にまで伸び、事故も起きるなど大変だった模様。出発を早めて正解でした)

その先は渋滞なく、5時40分ごろ石橋ICから国道135号線に入り、6時10分ごろ熱海の中心部を、6時40分ごろ伊東の中心部を、それぞれ通過します。
途中コンビニ休憩をはさんで、7時10分ごろ伊豆高原エリアを通過、7時35分ごろ、最初の目的地、稲取港に到着します。

稲取港脇にある東伊豆町役場の立体駐車場1階で、土日祝の8時から開かれている「港の朝市」がお目当てです。
30分ほど早く着きましたが、出発が30分遅ければ、1時間くらいは到着が遅れていたでしょうから、まあ上々というべきか。

で、8時まで少し時間があるので、周りを歩いてみると、朝市会場からちょっと離れた岸壁沿いの建物脇に、行列が見えます。

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これはいったい・・・(つづく)

アルヴォ・ペルト「タブラ・ラサ」ARVO PÄRT/TABULA RASA

今回は、1935年生まれのエストニア出身の作曲家、アルヴォ・ペルトの作品集です。

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アルヴォ・ペルトタブラ・ラサ

・フラトレス(ヴァイオリンとピアノのための)[1977/1980]
 ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)、キース・ジャレット(ピアノ)
 (録音:1983年10月・バーゼル

ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌(弦楽オーケストラと鐘のための)[1980]
 デニス・ラッセル・デイヴィス指揮シュトゥットガルト国立管弦楽団
 (録音:1984年1月・シュトゥットガルト

・フラトレス(4,8,12…のチェロのための)[1977/1982]
 ベルリン・フィルの12人のチェリストたち
 (録音:1984年2月・ベルリン)

タブラ・ラサ(2本のヴァイオリン、弦楽オーケストラとプリペアード・ピアノのための)[1977]
 ギドン・クレーメル、タチアナ・グリンデンコ(ヴァイオリン)、アルフレート・シュニトケ(ピアノ)、サウリュス・ソンデツキス指揮リトアニア室内管弦楽団
 (録音:1977年1月・ボン)

確か、ペルトの作品集として、最初に発売されたもの。
国内盤でも「アルヴォ・ペルトの世界~タブラ・ラサ」といったタイトルで以前出ていたと思います。(上の画像は私が最初に買った輸入盤のもの)

その後、2010年に、ペルトの生誕75年を記念して「TABULA RASA Special Edition」として、本CDと、本CD収録曲4曲のミニスコア、さらにタブラ・ラサと追悼歌の自筆譜のコピーが付いた盤が出ています。

現代音楽のミニスコアは入手しにくい場合が多く、しかも値段もかなり高いのが通常ですが、これは4曲分で5000円代で、各曲のスコアを個別に買うよりかなり安いはず、
と、数年前に思わず衝動買いしてしまいました。

なお、Amazonではまだ入手が可能なようです。

 

Tabula Rasa [Deluxe Re-issue]

Tabula Rasa [Deluxe Re-issue]

 

 で、音楽自体は、誤解を恐れず一言でいえば、癒し系です。
ミニマル・ミュージック的というんでしょうか、小さな断片の繰り返しで積み上げていくような感じですが、聞こえてくる音楽は、機械的なイメージとは対極にあります。

例えば、 「ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌」。
スコアを見ると、4分の6拍子(四分音符=112-120)で、ラ(A)の音で鐘が3回pppで鳴った後、1番ヴァイオリンが2部(2音)に分かれ、ラ(A)の音から2拍+1拍(二分音符+四分音符)で「タータタータ…」と下降音型を始めます。
次いで、2番ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの順で、それぞれ、同様に2部に分かれ、1オクターブずつ低いラ(A)の音から下降音型を始めていきますが、
2番ヴァイオリンは4拍+2拍、ヴィオラは8拍+4拍、チェロは16拍+8拍、コントラバスは32拍+16拍と、下降音型の音価が2倍ずつ引き伸ばされていきます。
さらにこの下降音型、各パートとも、繰り返すたびに、下降する音の数が1音ずつ増えていきます。(すなわち、下降する行先の音が1音ずつ下がる)

1番ヴァイオリンは、弾き始めのラから19音(3オクターブ弱)下がったドに至ると、下降を終わり、ドの持続音になります。
2番ヴァイオリンは、弾き始めから2オクターブ下がったラで、ヴィオラは、弾き始めから1オクターブ半下がったミで、チェロとコントラバスは、弾き始めから1オクターブ下がったラで、同様に持続音になり、fffのラ・ド・ミ(イ短調)の和音で終わります。

というように、解説するといかにも機械的に音を並べただけのように見えてしまいますが、ある種規則的な繰り返しであるのにかかわらずどうしてここまで人の心を打つのだろう、と思わずにはいられません。

2種類の「フラトレス」も然り。
タブラ・ラサ」は、プリペアード・ピアノを使っていることもあり、他の3曲と比べると、特に前半部分など、一般的な「現代音楽」に近い感じですが、後半部分は、一転してとても静謐な音楽になります。

「この世界の片隅に」舞台挨拶@キネマ旬報シアター

キネマ旬報シアターで「この世界の片隅に」の片渕監督の舞台挨拶に行ってきました。

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片渕監督は、12:45~「マイマイ新子と千年の魔法」上映後の舞台挨拶⇒13:15~「この世界の片隅に」上映後の舞台挨拶⇒挨拶終了後、両観客対象のサイン会、というハードスケジュール。

ロビーには、ロケ地マップの展示もありました。

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館内は、先日「マイマイ新子と千年と魔法」を観に行ったときの閑散とした雰囲気とは全然違って、すごい人混み。
この世界の片隅に」はもう何回目かですが、満席&立ち見は初めて。
前半は無遠慮な物音があちらこちらで目立って、今一つ集中しにくい雰囲気。
でも、終盤に向かうにつれ静まり、集中していくのは作品の力のなせる技か。

上映終了後、間もなく片渕監督が登場。

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以下、片渕監督の挨拶のほぼ全体です(聞き取りのため、正確性はご容赦を)。

よろしくお願いします。片渕です。

なんか、こんなたくさんの方々に、お立ち見まで含め、観ていただいて、ほんとに今日はありがとうございます。

ほとんど、ほんとに同時上映で、マイマイ新子と千年の魔法を隣のスクリーンでやっていただいて、実は今、マイマイ新子の方の上映終了後の舞台あいさつをやって、ここに来たんですけど、なぜか、両方聞いていらっしゃる方がいらっしゃる(爆笑)。同じネタは使えないなと、(爆笑)よく考えたら別の映画でした。

実は、マイマイ新子と千年の魔法という映画は、すごくその、4月とか5月の、大きな麦畑にそよいでいる、そういう景色が印象的な映画でして、そのことについて、今隣のスクリーンでお話させていただいてたんですけども、ちょっと関連するお話としまして、すずさんがお嫁に来た呉では、段々畑がたくさんありまして、で、あれはいつぐらいからあったかというと、もう、明治になる前、江戸時代からあんな光景があったらしいです。で、江戸時代、呉だけではなくて、広島の瀬戸内海のあたりの島々の、島のてっぺんに近いところまで、ずうっと段々畑が続いていて、で、そこに最初は麦だけ植わっていたというんですね。その話を聞いて、マイマイ新子で作った麦をもう一回使えるかなとは思ったんですけど、そういうような、おんなじような光景の中に、2本の、自分が作った、続けて作った2本の映画の主人公がいたんだなあというオチです。

で、その、すずさんがいる、でいつも軍艦を眺めている畑、段々畑も、たぶん昔には麦がたくさん植わってたんだろうなと思うんですね。

ただ、麦というのは、冬とか春とかの作物ですから、昔その、あのあたりにそんなたくさん麦の段々畑が作られておる。でも段々畑ですから、水を引けないので、田んぼにできなかった。なので、江戸時代の中期にさつまいもが入ってきて、やっと1年中作物が植えられるようになったという、どうもそういうところであるみたいなんですね。

戦時中はだから、さつまいもも植わっていたでしょうし、かぼちゃも、すずさんが作ってたみたいなかぼちゃも植わってたんだろうなあと思います。

僕らも、段々畑は、非常にその、印象的な絵なので、何とかして描きたいなあと思ったんですが、あの、呉で、今段々畑ほとんど残っていなくなってしまいまして、で、残っているところに行くと、畑が、何て言うんですかね、縦の垂直になっているところが、石垣のところと、土のところとありまして、で、何しろすずさんがそこから落っこったりするものですから、どっちが正しいのかなあと思いまして。

で、そういうのっていうのは、呉がありまして、呉からずうっとこう、例えば船でずうっと行くと、広島の前を通って、宮島の前を通って、柱島の前を通って、で、山口の周防大島の前を通って伊予灘に出るんですけど、軍艦もそうなんですけど、その周防大島出身の宮本常一っていう民俗学者の方がいらっしゃって、この方は1981年に亡くなった方ですので、写真をたくさん撮っておられた。で、特に段々畑には注目して、たくさん、たぶんそこの、宮本常一記念館という、周防大島のところに行くと、たくさん写真残っているんではないかなと思って、すずさんがいた風景とかも絞れるのではないかなと思って行ってみましたら、学芸員の方が、僕が前に作った「BLACK LAGOON」という作品のファンの方で(爆笑)。

で、宮本常一という人は、学者さん、映画には全然関係ないんですけど、あのあたりって、昔どんな風景だったのかっていうのをたくさん記録に残していらっしゃって、中には、宮本さんが撮った写真に写ってた女の子、隣でやってたマイマイ新子のもう1人のヒロインの貴伊子ちゃんという子の夏服のデザインもそこから取ってたりするんです。

で、その、宮本常一さんの撮った写真たくさん残っているかなと思ったら、宮本さんっていうのは、これくらい(右手でスマホ大の大きさを表現)のちっちゃいカメラを片手に持って、こうやって(左右に体を振る)撮りまくるんで、ほとんど手ブレなんです(爆笑)。呉線にも乗って、いっぱい写真撮って、呉線で移動しながらこうやって写真撮ってるんで、みんな手ブレなんです(笑)。写真はたくさんあるんですけど、写っているものが少ない(笑)。

で、段々畑、島々の、呉の周辺の島々、広島湾を取り巻く島々の段々畑についても、たくさん何か写真は、一応ブレてないものとかも残っているし、いろんな論文みたいなの書かれたというお話を聞いたので、その学芸員の方に、土だったんでしょうか、石垣だったんでしょうか、と聞いてみたら、両方あって、島によって違うみたいです、というお話でした。じゃあ、呉はどうだったんでしょう、と聞くと、宮本常一っていう人は、島の段々畑を調べるのが目的だったので、呉には行っていないみたいなんですよ、ということになりまして。すごい、結局困って何だかわからなくなったという、まあそれだけのお話です(笑)。

何か、すずさんがいたぐらいの頃の時代なんかでも、そうやって調べてみようと思うと、ずいぶん、何かいろんなものが遠くなってしまったんだなあと思いつつ、でも、あそこにはかつて麦が植わってたんだなあとか、麦がたくさん風にそよいでいた5月があの、すずさんの、いつも軍艦を眺めていた畑にもあったんだなあとか、そういうふうに思うと、またちょっと違う、あの、この絵、今御覧になった映画に描かれていただけではない、呉の好情景、まわりの光景みたいなのがまた見えてくるんじゃないかと思います。

ちなみに言いますと、すずさんの段々畑は、石段からこっち側(右手を広げる)が石垣で、向こう側(左手を広げる)が土にしてあります(笑)。

今ここは、キネ旬キネマ旬報シアターっていうことですけども、キネ旬キネマ旬報では、昨年の映画、2016年に公開された映画で、ベストテンというのを、毎年やってらっしゃる中で、「この世界の片隅に」は、その1位、ベストワン、日本映画のベストワンに選んでいただいて、ロビーに出るとその展示もあります。2位が「シン・ゴジラ」でその後に続くんですけれども、ここの映画館で、ちょっと前に「シン・ゴジラ」とか「ゴジラ」とかの上映もあったり、それから、この先に、「淵に立つ」、深田監督の写真と、この後には中野監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」があって、みんなその、去年、2016年に並んで上映されていて、たくさんの映画祭、映画賞で、一緒に並んで、表彰をもらったり、上げていただいたりとか、した仲間みたいな、何か、すごくその、何と言いますかね、同級生みたいな気がしています。そういう映画を、この1つの映画館の中で、続けて上映されて、僕もなんですけど、たぶん、ちょっと前には深田監督が来て、今度は中野監督が来て、ということになっていて。ほんとにこの映画、マイマイ新子(爆笑)、マイマイ新子の方ではこの世界の片隅にって言っちゃったんですけど(爆笑)、いろんな映画の中で、そういう映画と並んで、上映されたりとか、まあ、受賞させていただいたりとか、出ることがあって、今年の前半はずいぶん続いたんですけども、それがほんとにまたこう、何というか、幸せだったなあと思います。

もう1つ、実はロビーに、この映画館でやったお客さまにアンケートして2016年のベストテンを決めていただいたものでも、この世界の片隅にが1位をいただいて、それもロビーに掲示してあるんですけど、上映していただいてないのに(笑)、ほんとに何か、どうしたことでしょうということですけど、ありがたい限りだと思います。

まだまだ、「この世界の片隅に」は、あちこちの映画館で上映が続く機会がこれからもまだまだ続くと良いなと思ってます。またどっか別のところで上映がありましたら、僕もまたこうやって舞台挨拶をやらしていただこうと思います。

ということで、今日はこういうことでしたが、またどっかでお目にかかれる機会があることを願っています。また、すずさんにお目に、会いに来ていただけると嬉しいです。

今日はどうもありがとうございました。(拍手)

終了後、サイン会。

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快く、一緒に写真に応じてくださいました。
お疲れの中、おそらく300人近くの方にサインされたのだろうと思います。

片渕監督、本当にありがとうございました、