鷺の停車場

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「この世界の片隅に」(下巻)

先日の中巻に続いて、下巻を読みました。
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この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 

この巻は、20年4月以降、映画でいうと、空襲警報の発令が増えて生煮えの朝食を食べたり、すずさんが洗濯物を干している際に初めて飛行機雲を見る、といったシーン以降に相当する部分が描かれています。

なお、映画では、飛行機雲を見上げるすずさん→高高度を飛ぶB29→空から戦艦大和を発見し写真撮影、という場面転換によって、その後4/7に沈没することになる戦艦大和を最初に発見したB29(偵察機型?)の飛行機雲であることが暗示されますが、原作では、そのような描写は出てきません。

改めて読み直すと、映画化の際に細かに変更が加えられている部分が意外に多いことに気付きます。

例えば、広工廠が爆撃された20年5月5日の夜、周作(夫)はすずに、法務一等兵曹になるので軍事教練を受けることになったと告げます。映画では、実際に教練に出るのは5月15日(火)とされていましたが、原作では、5月5日(土)に「来週から」と言っています。教練に出る日自体は明示されていませんが、おそらくは5月7日(月)でしょうから、約1週間のずれがあります。また、教練に出る朝の天候も、映画では雨が降っていて傘を差して出かけますが、原作では傘や雨は出てきません。
20年8月15日に玉音放送を聞く場面、映画では、部屋の中央に置かれたラジオの放送を縁側に並んで座って聞きますが、原作では部屋の中に並んで座って聞いています。
この辺は、映画化の際に、歴史考証を更に重ねた結果なのかもしれません。

ちなみに、広工廠が爆撃される回では、冒頭に呉の鎮守府・広工廠などの組織の沿革や、広工廠で製造されていた飛行機、映画では初空襲の場面で円太郎(義父)が口ずさむ広工廠歌の歌詞(2番)などが紹介されています。こういう部分はいかにもマンガならではのいいところ。

時限爆弾が爆発した直後の、晴美さんがお花畑で笑っているシーンや、終戦後の、青葉が空に浮かんで波のウサギが戯れるシーンは、映画で見ると違和感がありましたが、原作でも確かにその通りに描かれていて、しかも、映画のような違和感は全くありません。これは、コマの間を想像力で埋めながら読んでいくので、大胆な変換に違和感を感じないマンガと、より直截的に映像を紡いでいくアニメ映画と違いなのでしょう。青葉のシーンは、マンガでは空に浮かんだ絵だけが描かれていますが、映画では、コマの間をつないで描くように、現実に係留している青葉が空に上がっていくので、現実から非現実への飛躍が分かりにくいのかもしれません。

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映画でも印象的な機銃掃射のシーン。原作では、映画では大きくカットされたリンさんとのエピソードを経ているので、すずと周作(夫)の関係だけでなく、私は周作にとってリンさんの代用品ではなかったのかと思い悩むすずさんの心の迷いがむしろ大きな比重を占める描写になっています。しかし、最下段の右のコマ、周作のベルトのあたりをギュっとつかんでいるすずさんの左手が描かれていて、すずさんが周作を愛していることがひしひしと伝わってきて、愛しているのに、その周作さんはリンさんを愛していたのだろうか、自分は周作さんにとってどのような存在なのか、という不安を抱いていることが示されます。

このような微妙な心の襞が、原作ではより丁寧に描かれていますが、映画では、そうした要素はほどよく背景に退いて、すずさんが1人の女性として成長し夫婦の絆を深めていく側面によりスポットを当てる形で描かれています。
これ自体にはいろいろ賛否の意見があるようではありますが、仮にもし、予算や映画の尺の制約を受けずに、リンとのエピソードを含めてフルに描かれていたとした場合に、今のような成功を収めていたのかは、ちょっと分からないところがあります。片渕監督も述べておられるように、リンさんとの関係で思い悩む部分を残してもなお、すずさんがエンディングで救われた(という印象を観客に与えることができた)のだろうかということがあります。原作の中でいくつかある重要な要素をやや単純化することによって、結果として、物語の求心力が高まりより広く人々に受け入れられた側面もあったようにも思います。とはいえ、ロングバージョンが作られる動きもあるようですので、実際にどうなのか、ぜひ見比べてみたい気はします。

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マンガの最終話は、映画でいうと、広島ですずさんと周作が久しぶりの再会を果たし、孤児と出会い、引き取って自宅に帰るシーンに当たります。
映画では、主題歌の「みぎてのうた」が流れますが、その歌詞に当たる部分は、このように、手紙の文面として描かれています(右下のコマの「だつてほら」の後の部分からが、「みぎてのうた」で歌われた歌詞の部分に当たります。)。これが誰から誰への手紙かは、マンガの中では一切描かれていません。奥深く、いろいろ想像ができて、私自身は、こうに違いない、といった確信はいまだに持てないでいますが、すずさんが失ってしまった右手が書いた手紙と思って読むと、一番しっくりくるのかもしれません。

うまく語ることはできませんが、この回はとても印象的です。最初は、上のコマのように、後にすずさんに引き取られることになる被爆孤児が広島の街中をさまよう場面で始まりますが、途中では、手紙の文面に即して、おそらく空襲に遭う前の、サン(義母)と小林さん(伯母)、径子(義姉)、円太郎(義父)、周作(夫)、晴美(姪)が、そして水汲みに歩くすずのおそらく回想が挿入され、そして、また終戦後の広島駅前の現実に戻り、孤児とすずさんら夫婦が出会う場面へと導かれていき、映画と同様、ささやかな家庭の幸福を感じさせるシーンで幕を閉じます。

改めて、映画とは異なるマンガならではの表現、持ち味を感じながら、しみじみニヤニヤ読ませてもらいました。