鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「あの夏、いちばん静かな海」

先週、キネマ旬報シアターに行ってみました。

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この日の上映作品。アニメ系がなくなって、この映画館の(私の中での)イメージどおりのラインナップです。

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9月末から、北野武監督特集が開かれているようです。
20年くらい前、とある映画館の特集上映で観たのも含め、確か第1作の「その男、凶暴につき」から「HANA-BI」くらいまでの初期の北野武(≠ビートたけし)監督作品はひととおり観た記憶があります。

この日観たのは「あの夏、いちばん静かな海」(1991年10月19日(土)公開)。

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北野武監督の映画は、ヤクザ(or元ヤクザ)が出てくるバイオレンス系の作品が多いですが、最近は、あんまりバイオレンス系の作品を観る気分にはなりません。歳とったのかなあ。

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スクリーンは、前回観たガルパンと同じスクリーン3。平日の21時近くの回、観客は20人くらいでしょうか。

フィルム映画を観るのはかなり久しぶりです。通常どおり流れた予告編の直後に観ると、やはり今と比べると画像の解像度が低いんだなあと、改めて感じます。地上波TVのアナログとデジタルの違いに近いものを感じます。
冒頭は、画面のノイズの多さが気になって、この調子だと辛いなあと思っていましたが、次第にノイズは落ち着いてきて、観る方の目の慣れもあるのか、ほとんど気にならなくなりました。昔観たときもこんなにノイズあったのかなあ。25年以上前の映画ですから、フィルムの劣化もあるのかもしれません。冒頭に多いのは、フィルムを巻き取ったときに最も外側にくる部分で、より傷つきやすかったということかもしれません。

作品自体は、ご存知の方も多いと思いますが、一言でいえば、聴覚障害者(聾唖)の青年が、あるきっかけでサーフィンを始め、夢中になり、大会で入賞するまでに上達するものの、サーフィン中に命を落とす一夏の?物語。

ちょっと詳しめにあらすじを。

清掃会社で収集車でのゴミ回収の仕事をしている聴覚障害者の茂。燃えるゴミの回収中、海岸のゴミ捨て場に、先端部が欠けたサーフボードが捨てられているのを見つけます。いったんは通り過ぎますが、茂はわざわざ走り戻って、そのサーフボードを持ち帰り、自分で発泡スチロール?を使って欠けた先端部を作り、継ぎ足して修復します。そして、修復したボードを手に、同じく聴覚障害者の彼女(映画の中では名前は出てこなかったと思いますが、貴子という名前のようです)を連れて海に向かい、Tシャツ・短パン姿でサーフィンを始めます。
最初は、なかなかうまく波に乗ることができず、周囲のサーファーも嘲笑のまなざしで眺めます。ほどなく、修復したサーフボードも壊れてしまいますが、サーフィンを諦められない茂は、彼女とともにサーフショップに向かいます。店頭に並んでいるボードは、どれも2人の所持金を合わせても手の届かない値段です。茂の気持ちを汲んだ彼女が最安の8万円の中古のサーフボードを6万円に値引きできないか店員に聞いてみますが、すげなく断られます。
その後、給料(ボーナス?)が出て、そのサーフショップで12万円台のボードを購入します。しかし、そのボードは他の店では9万8千円で売っているものでした。帰り道、路線バスに乗ろうとしたところ、茂は混雑のためボードの持ち込みを運転手に断られ、彼女だけがバスに乗り、茂はボードを抱えて歩いて帰る羽目に陥ります。心配する彼女は、途中でバスを降り、走って茂の許に向かいます。再び一緒になった2人、茂は彼女の肩を抱き寄せ、ともに歩いて帰ります。
新しいボードを手に入れた茂は、ますますサーフィンに打ち込み、初めは嘲笑のまなざしで見ていた周囲のサーファーも見直すようになっていきます。そんな中、サーフショップの店主は、他の店ではもっと安いことを知りながら値引きもせずボードを売ったことを気にかけてか、茂にウェットスーツを手渡し、千葉で行われる大会への出場を勧めます。
茂はフェリーに乗り、彼女と2人で大会に向かいますが、出番を告げるアナウンスが聞こえないため、出番を逃し失格となってしまいます。茂は、海上の片付けが進む中、一人海に出た後、2人で歩いて帰路に就きますが、サーフショップの店主の車が2人を拾い、一緒に帰ります。
やがて茂は、連日サーフィンに打ち込むあまり、会社を休むようになりますが、欠勤でクビになってしまうことを心配した清掃会社の上司は、突然海岸に訪れ、サーフィン中の茂を仕事に連れ戻します。茂はウェットスーツのままゴミ回収の仕事をし、彼女は残されたボードなどを持って1人家に帰ります。
その後は、仕事もしながらサーフィンに打ち込んだのか、上司の理解も得て休暇を取り、再び千葉の千倉でサーフィンの大会に出場します。今度は、サーフショップ店主の気配りもあって、無事に出場し、Bクラスの予選を突破して決勝に進み、6位入賞を果たします。
大会後もサーフィンに打ち込む茂。ある雨の日、彼女が海岸に行ってみると、茂の姿はなく、茂のサーフボードだけが砂浜に打ち付けられています・・・
彼女は、茂のサーフボードを携えて、再び東京湾フェリーに乗り、千葉に渡ります。
最初のサーフィン大会の時に乗せてもらった男性の軽トラに再び乗せてもらい、大会の会場だった海岸へ向かいます。そこで彼女は、サーフィン大会の時に茂と2人で撮った写真をサーフボードに貼り付け、海に送り出します。

主役の2人は聴覚障害者同士のカップルという設定ですから、2人にはセリフが全くありません。現実のカップルは、手話などを使って頻繁に会話するのが自然なように思いますが、映画での2人は、そうした会話すらほとんどなく、並んで座り、また視線を交わすだけで理解しあいます。特に彼女の方は、自己を強く主張するところはほとんどなく、ずっと茂を温かい目で見守っています。これ自体1つのフィクションですが、セリフ・会話を極力排除する北野監督の狙いがあったのでしょう。
海岸沿いの道路をボードを抱えて歩くシーン、打ち寄せる波の中でサーフィンをするシーン、海岸の砂浜で彼女がサーフィンをする茂を見守り、また、茂や周囲のサーファーたちが休憩するシーン、仕事中の茂たちがポリ袋に入ったゴミを収集車に放り込むシーンなど、同じような光景が繰り返し描かれますし、その他の登場人物たち、周囲のサーファー、最初はサーフィンに打ち込む茂をバカにするがその後自分たちもサーフィンを始める2人の元同級生らしきサッカー青年、彼氏のサーフィンに同行してきて茂に話しかける女性などは、棒読みとは言わないまでも、決して上手い演技ではありません。これらは、淡々と描くことで、センチメンタルに流れないようにする狙いもあったのではないかと思います。

説明的なセリフが全くないわけではありませんが、基本的には、主役たちの感情の動きは語られないので、それぞれの観客が、語られない部分に思いをふくらませながら観ることになります。これは監督にとっても一つの挑戦、試みだったのでしょうが、結果として、改めて観ると、情報をそぎ落としすぎの感もなくはないですが、抒情的で、余韻が残る感じが良かった。

ちなみに、本編では、彼女は静かに茂を見守ることがほとんどで、ふざけたりするシーンはないのですが、エンドロールでは、彼女が海岸で波打ち際を走ったり、砂浜の上で茂のサーフボードに乗ってサーフィンの真似をしたりする映像が出てきます。本編を観て思い描く彼女のイメージとは違う活発な一面ですが、最初からエンドロールのためだけにそんなシーンを撮ったとは考えにくい。勝手な想像ですが、本編の1シーンとして使うことを想定して撮ったものの、その後の編集段階で精査する中でカットされ、エンドロールで使われたのではないでしょうか。