鷺の停車場

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映画「河童のクゥと夏休み」

DVDで「河童のクゥと夏休み」(2007年7月28日(土)公開)を観ました。

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河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

 

現代に蘇った江戸時代の子どものカッパの「クゥ」と少年・康一との交流、友情と別れ、そして彼らを取り巻く人間模様を描いた作品。

監督は原恵一。私は知りませんでしたが、「ドラえもん」TVアニメの演出などを経て、「クレヨンしんちゃん」の初期のTVアニメや劇場版で監督などを務められて高い評価を受け、クレヨンしんちゃんの制作を離れた後に取り組んだ作品とのこと。

詳しめにストーリーを紹介すると、次のような感じです。

江戸時代のある夜、カッパの父子が田んぼのあぜ道に佇んでいる。そこに2人の武士の通りかかり、2人の前に現れた父カッパは竜神沼の干拓を考え直してもらうよう陳情するが、武士は直前に2人で話していた自らの悪事を聞かれたと思って動転し、父カッパを斬りつけて殺し、子カッパも斬りつけようとする。子カッパが必死に逃げるところに地震?で地割れが起き、子カッパはその割れ目に落ち込んでしまう・・・

時代が変わって現代の東京。小学生の上原康一は、学校から帰る途中、友だちとふざけていると靴が脱げて飛んでいき、同級生の菊池紗代子のランドセルに当たって脇の小さな河川敷に落ちてしまう。それを拾いに降りると、河川敷に埋もれていた大きな石を見つける。好奇心で割ってみると、中に化石のように干からびた生物のようなものが張りついている。
康一は石を家に連れ帰り、石を洗うと、小さい河童が蘇って動きだす。ママ(友佳里)と妹(瞳)は気味悪がるが、康一は「クゥ」と名付けて家で飼ってほしいとねだり、パパの助力もあって、一緒に暮らすことになる。最初は警戒心を抱いていたクゥだが、康一の親切もあって、次第に信頼を寄せるようになる。瞳は自分が構ってもらえなくなったことを嫉妬してかクゥを邪険に扱うが、義理堅く礼儀正しいクゥの言動に触れる中で、その他の家族はクゥを受け入れるようになっていく。

ある夜、家族と相撲を取って全勝したクゥは、パパから「お祝い」とお皿の上にビールを少しかけられると、皿からアルコールが回ったクゥは、酔っぱらって踊り出し、寝てしまう。その夜中に目が覚めたクゥは、心の声でクゥに話しかける飼い犬(オッサンと名付けられている)の助けで玄関のカギを開け、雨の中散歩に出るが、若いカップルと遭遇してしまう。また、妹がつい幼稚園でしゃべってしまったりして、次第に康一の家にカッパがいるという噂が広がる。康一は必死に否定するものの、同級生から避けられるようになってしまう。

そんなある日、雑誌で「民話のふるさと遠野へ 河童に出会う旅」という記事を見かけた康一とクゥは、何かカッパに出会う手掛かりが得られるのではないかと、2人で東北新幹線に乗り、遠野に旅に出る。その日泊まった旅館で、夜中にクゥは座敷わらしに出会い、カッパがいないか聞いてみるが、この100年くらいカッパは見ていないと言われて落胆する。翌日、クゥは早く帰ろうとせがむが、帰りの新幹線まで時間を持て余した康一は、海に行ったことのないクゥを釜石の海に連れていく。

ところが、その夜、駅から家に歩いて帰る途中、カッパの噂を聞きつけて張り込んでいたマスコミに突撃されて、クゥを写真に撮られてしまう。一方、帰宅したクゥは、海で拾った綺麗な石(ガラス?)を瞳にお土産として渡す。それをきっかけに、それまでクゥに面白くない感情を抱いていた瞳の気持ちが変化していく。

間もなく、雑誌にクゥのスクープ写真が掲載され、康一の一家は過熱するマスコミの取材攻勢に遭う。困ったパパは、やむなく、クゥをビデオを撮影してテレビに提供するなどするが、ついには家族揃ってテレビに出演する。その番組で、ゲストとして出演した民族研究家の清水は、「先祖の武士が悪戯者の河童を退治した」と代々伝えられてきたと語り、カッパの腕のミイラをクゥに見せる。クゥは、武士に斬り殺された自分の父親の腕であると確信し、それを奪って逃げ出す。その意を汲んだ飼い犬(オッサン)は、クゥを背中に乗せて走って逃げるが、信号などでちょっと立ち止まるたびに野次馬に取り囲まれ、ついには東京タワーの駐車場で、野次馬の車に撥ねられ、犬(オッサン)は死んでしまう。

動転したクゥは、父親の腕を持って東京タワーの鉄骨を這い上がるが、皿がカラカラに渇いて生気をなくしてしまう。ここから落ちて死ねば父親のところに行けるという思いが一瞬心によぎるが、急に黒い雨雲が広がって雨が降り出し、生気を取り戻す。そこへ雨雲の中から、昔父親から「おっかねえけど、いい神様だ」と聞いた竜が現れ、天に昇っていく。それを見たクゥは、死ぬのはまだ早いと父親が教えてくれたのだと思い、康一の許に帰る。

ある日、カッパ騒動で同級生から避けられるようになった康一を気にかけてくれた紗代子が、両親が離婚するため、母親とともに引っ越すことになったと康一に告げ、泣き出してしまう。困惑して別れた康一が帰宅すると、クゥの許に「こっちこい すぐこい にもつでおくてもらへ」とたどたどしい字で書いた葉書が届いており、それを見たクゥは、早速翌日にも行くと家族に伝える。康一たち家族は戸惑い、止めようとするが、固い決心に折れ、最後の晩餐をし、みんなで記念写真を撮る。

翌日、康一たち家族は、クゥに別れを告げて段ボールに入れて蓋をし、パパがおとりとなって車で出発してマスコミを引き付けている間に、康一はクゥを入れた段ボールを抱えて走って駅に向かう。その途中、康一はクウを引越しを翌日に控えた紗代子に会わせ、東久留米の駅で紗代子は康一とクゥを見送る。
康一は1駅行った清瀬のコンビニで段ボールを宅配便として預けるが、宅配便のトラックが集荷に来るまでその場を離れることができない。クゥが中に入った荷物がトラックに運び込まれた時、康一の心の中に「康一、あんまり自分を責めんな、俺は何も恨んでねえ。俺はお前と暮らせて楽しかった」と話すクゥの言葉が聞こえ、2人は別れの言葉を交わす。走り出したトラックを康一は追いかけるが、やがて力尽きて、トラックを見送る。

やがてクゥは無事に沖縄のやんばるに到着する。招いたのはキジムナーで、テレビに出たクゥを見て、放っておけないと心配して誘ったのだった。クゥがキジムナーと共に穏やかに暮らしていくことを暗示して、映画は終わる。

学校でのいじめ、マスコミの報道過熱などの社会的な問題も盛り込みつつ、康一とクゥの絆(友情?)や、クゥと一緒に暮らして様々な出来事を経験することによる康一の成長が中心に据えられています。なお、Wikipediaにおけるこの映画の解説では、変わるものと変わらないものとの対比という構図において、小津安二郎の「東京物語」との共通点が指摘されています。確かに、田舎に暮らす老夫婦が、子どもたちに会いに都会に出るものの、大人になって都会で暮らす子どもたちそれぞれの生活の事情もあり(結果的には)丁重に扱ってもらえず、田舎に帰っていく、という「東京物語」と、元は江戸時代のカッパであるクゥが、現代に蘇って様々な変化に直面し、やがて沖縄のキジムナーのもとに向かう、というストーリーには、確かに共通する部分はあるのかもしれませんが、その構図の占めるウェイトという点では、両者には違いがあるように思います。

康一をはじめ、キャラクターのデザインは、マンガや一般のアニメによくある感じではなく、目が小さいなど、実際の人間の顔かたちに近付けようとした感じです。表情の変化が一般のアニメほど大きくなく、ちょっと能面みたいな感じもして、個人的にはあまり好きではありませんでしたが、ここには監督なりの狙いがあったのかもしれません。涙がこぼれるほど感動的ということではないですが、観終わって改めて考えさせられるところのある映画でした。

原監督の作品は初めて観ましたが、いずれ機会あれば、DVDを借りるなどして、他の作品もちょっと観てみようと思います。ただ、「クレヨンしんちゃん」は見ないかなあ…