鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「ミッドナイト・バス」

平日の夜、キネマ旬報シアターへ。

f:id:Reiherbahnhof:20180523015044j:plain

この週の上映作品。

f:id:Reiherbahnhof:20180523015153j:plain
この日観たのは「ミッドナイト・バス」(1月27日(土)公開)。

以前別の映画を観たときに流れていた予告編で気になっていて、うまく時間の都合が付きそうだったので、観てみることにしました。監督は竹下昌男

f:id:Reiherbahnhof:20180523015223j:plain

f:id:Reiherbahnhof:20180523015406j:plain

f:id:Reiherbahnhof:20180523015430j:plain

f:id:Reiherbahnhof:20180523015445j:plain
上映されたスクリーン3の脇のスペースには、ロケ地めぐりマップなど関連情報の展示がありました。この作品、新潟県の主要地方紙である新潟日報の創業140周年記念事業として製作されたそうで、ロケもほとんど新潟県内で行われているようです。新潟日報HPにも「聖地巡礼MAP」が掲載されています。

予告編が始まったスクリーン3に入ってみると、観客は私を含めて5人ほど。1/27全国上映(新潟県内は1/20先行上映)と、公開から3~4か月が過ぎて上映終了も近づいて来た時期だろうとはいえ、少し寂しい入り。

公式HPで紹介されている「ストーリー」は次のようなもの。

主人公の高宮利一(原田泰造)は、東京での過酷な仕事を辞め、故郷の新潟で長距離深夜バスの運転士として働く中年の男。
ある夜、利一がいつもの東京発-新潟行のバスを発車させようとしたその時、滑り込むように乗車してきたのが、16年前に離婚した妻・美雪(山本未來)だった。
突然の、思いがけない再会。

美雪は東京で新しい家庭を持ち、新潟に独り暮らしている病床の父親(長塚京三)を見舞うところだった。
美雪の疲れ果てた様子が気になる利一。利一には、美雪との間に怜司(七瀬公)と彩菜(葵わかな)という子どもがいる。
利一が東京で定食屋を営む恋人・志穂(小西真奈美)との再婚を考えていた矢先、長男の怜司は東京での仕事を辞めて帰ってくる。
娘の彩菜は、友人とルームシェアしながら、インターネットでマンガやグッズのウェブショップを立ち上げていたが、実現しそうな夢と、結婚の間で揺れていた。
そして利一は、元妻の美雪が夫の浮気と身体の不調に悩み、幸せとはいえない結婚生活を送っていると知る。
利一と美雪の離婚で一度ばらばらになった家族が、今、それぞれの問題を抱えて、故郷「新潟」に集まってくる。
家族がもう一度前に進むために、どうすればいいのか――。

16年という長い時を経て、やるせない現実と人生への不安が、再び、利一と美雪の心を近づけていく。
利一とは違う場所で、美雪もまた、同じ分の歳月を生きていた。
だけど、どんなに惹かれ合っても、一度分かれてしまった道は、もう二度と交わらないこともわかっている。
この数ヶ月、志穂といた利一は美雪を思い、美雪といた利一は志穂を思った。
利一には恋人の志穂が、美雪には夫とまだ幼い息子がいる――。

奇跡のような再会から数ヶ月が過ぎ、小雪が舞う中を、美雪は利一に見送られ、東京行きの深夜バスに乗る。
ひとりになった利一は、自分が今、人生のどこにいるのかと考える。
それは、暗い昼かもしれないし、夜かもしれない。
たとえ夜の中、先も見えない暗がりの中にいたとしても、利一はそんな夜をいくつも越えてきた。
だから恐れずに進めばいい。走り続けたその先にはいつだって、きれいな朝が待っているはずだ。
利一は願いをこめて、志穂の元へバスを走らせる。
もう一度、明日へと、自分自身の人生を前に進ませるために――。
(ここまで)

期待にそぐわず、いい映画だという感想。

現実にはなかなかあり得ない設定ですが、バラバラになっていた家族が再び交錯して、衝突もありながら、それまでのわだかまりが少しずつ氷解していき、それぞれが再出発していく過程が丁寧に描かれ、しみじみと考えされられるところがありました。

上映時間が2時間半以上とやや長く、途中冗長に感じる部分もなくもなかったですが、少しずつ人間関係が変容していくさまを描くには、ほどよいテンポ感で、おそらく2時間前後まで圧縮していたとしたら、逆に駆け足で伝わりにくいものになっていたかもしれません。

キネマ旬報シアターでの上映は既に終了し、全国で見ても、6月初めには上映がいったん終了してしまう見込みのようです。公式HPの上映情報によれば、全国で延べ52館と小規模ながら、4か月以上も上映が続いてきているわけで、地味ながら、いい映画であることの表れなのかなあとも思いました。