鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「博士の愛した数式」

映画「博士の愛した数式」(2006年1月21日(土)公開)をDVDを借りて観ました。

博士の愛した数式 [DVD]

博士の愛した数式 [DVD]

 

「ルート」と呼ばれる中学校の男性数学教師(吉岡秀隆)が、あるクラスの最初の授業で、なぜ数学教師になったのか、「博士」との思い出を語り始める。
ルートが小学生の頃、家政婦をしていた彼の母(深津絵里)は、家政婦紹介組合から元数学者「博士」を紹介される。博士の家を訪れた母は、母屋に住む博士の義姉である未亡人(浅丘ルリ子)から、離れに住む博士が起こしたトラブルは離れで解決することなどの条件を示され、博士は新しい記憶が80分しか持たないことを知らされる。
博士(寺尾聰)の家政婦として働き始めた母は、あらゆる数字を数学に結び付ける博士に困惑するが、次第に親近感を抱き始める。ある日、母が10歳の息子と2人暮らしであることを知った博士は、小さい子どもが独りで母親の帰りを待っていることを居たたまれなく思い、翌日から息子を連れてくるようにと言う。次の日、学校帰りにやってきた息子(齋藤隆成)を歓迎する博士は、彼の頭を撫で、頭頂部が平らであることから「ルート」と名付ける。ルートも博士と打ち解け、母子と博士は交流を深めていくが、かつて博士と恋愛関係にあった未亡人は複雑な感情を抱く。
かつて野球をしていた博士は、ルートが所属する野球チームのコーチも務めるようになるが、母とその試合の応援に行った博士は熱を出して寝込んでしまい、母が看病するが、泊まり込みで看病したことで未亡人から家政婦紹介組合にクレームが入り、母は博士の担当を外されてしまう。
ある日、別の場所で働く母に連絡が入り、博士宅に向かうと、ルートもそこにいた。その後もルートと博士の交流は続いていたのだ。母を責める未亡人に対し、博士は、記憶を補うためにジャケットに付けていた数多くのメモをすべて外し、「もう失うものは何もない、自然に任せて一時一時を生き抜こうと思う」と言って、外したメモの1枚に「eπi+1=0」(オイラーの等式)と書いて未亡人に渡し、ルートを連れてその場を去る。メモに込められた意味を理解した未亡人は、親子を受け入れるようになり、母は再び博士の家政婦として働き始める。

ルートは博士との日々の中で、数字の持つ意味や数学に興味を抱き始め、数学教師となったのだった。(ここまで)

この作品では数学の用語が数多く出てきます。階乗、友愛数素数完全数・・・。博士は初めて会ったルートの母の靴のサイズが24と聞くと、4の階乗(=1×2×3×4)でいさぎよい数だ、と言い、母の誕生日の2月20日(220)と博士の腕時計の裏に刻まれた数字284が友愛数(自身の数を除く約数の和が相互に一致する数字の組。220の約数:1+2+4+5+10+11+20+22+44+55+110=284/284の約数:1+2+4+71+142=220)だ、と言う感じ。

数学の専門的な用語が遠慮なく出てくるために、説明的な場面が多くなってしまうのは避けがたいところがあります。上記のような数学的な概念は一般の人にはすぐには理解できませんが、これらを端折ってしまっては原作の基本的な構成要素が失われてしまいます。

成長し数学教師となったルートが生徒に博士との想い出を語るという全体のフレームは、原作と異なりますが、一般の人にはにわかに理解できない数学上の概念を観客になるべく自然に説明するために、ルートが生徒に数学的な概念を説明しながら思い出を語るという形をとったのでしょう。全体的にはルートが子ども当時の回想シーンがメインなのですが、専門的な数学上の概念が出てくると、教室でルートが生徒たちにそれを説明するシーンがはさまるという構成で物語が進んでいきます。これは一つのアイデアとして悪くない。

監督は小野堯史。黒澤明監督に師事し、黒澤監督の晩年の作品で助監督を務められていた方だそうです。

原作も、昔文庫本を買ってざっと読んだ記憶がおぼろげにあります。 

博士の愛した数式 (新潮文庫)

博士の愛した数式 (新潮文庫)

 

前述の全体のフレームの違いを除けば、かなり原作に忠実に映画化した印象で、俳優陣も好演。観終えて心がほっこり温まる映画でした。