鷺の停車場

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「ぼくは明日、昨日の君とデートする」映画&原作本

映画「ぼくは明日、昨日の君とデートする」(2016年12月17日(土)公開)を借りて観ました。

七月隆文の同名の恋愛小説の映画化で、監督は三木孝浩。ネタバレになってしまいますが、大まかなあらすじ。

京都で美大に通う奥手の20歳の南山高寿(福士蒼汰)は、通学で乗った叡山電鉄の車内でたまたま見かけた福寿愛美(小松菜奈)に一目惚れし、勇気を振り絞って自分と同じ宝ヶ池駅で下車した愛美を追って声を掛けると、美容師の専門学校に通う愛美は拒否することなく、高寿の何気ない一言に何故か涙し、「また明日ね」と別れる。翌日、高寿は再び会おうと前日と同じ電車に乗って愛美を探すが乗っていなかった。しかし、動物園でキリンを写生していた高寿のもとに愛美がやってきて、再び会う。高寿は愛美を思い出の場所だという宝ヶ池に連れてきて、5歳の時に溺れた時に知らない女の人に助けてもらったことを話すと、愛美も5歳の時に死にかけたことがあると話す。2人は急速に親密になり、付き合うようになるが、高寿が告白したとき、お互いの呼び方を苗字から名前に変えたとき、初めて手を繋いだとき、初めての節目で涙する愛美。そして、何故か高寿が話していない未来を知っているかのような愛美の振舞い。ある夜、2人は初めてキスをし、結ばれるが、高寿が愛美を送って自分の部屋に戻ると、愛美が忘れたメモ帳を見てしまう。動転して愛美に電話すると、翌朝、秘密を教えると言う。

翌朝、高寿は愛美の秘密を知らされる。愛美は普通の人間と時間の進み方が逆の別の世界から来た人間で、高寿の明日は自分の昨日なのだと。そして、5歳の高寿を助けたのは未来の自分、5歳の時の自分を助けてくれたのは35歳の高寿で、2人は5年に一度、30日間しか会えないのだと。しかし、そこで高寿は悟る。愛美と高寿が過ごした日々の思い出も、翌日になると、愛美にとっては昨日に戻っていて存在しないのだ、ということを。初めは葛藤し、愛美に苛立ちをぶつける高寿だったが、愛美が初めての節目で涙するのは、高寿にとって初めてのことは、愛美にとってはそれで最後で、だんだん高寿と離れていくことになるからだ、と気付く。そうして、最後の1週間ほど、2人は予定どおりの時間を過ごす。最後の日は、高寿が愛美をモデルに絵を描くことになっていた。初めての日となる愛美を高寿は温かく迎え、愛美の求めで、絵を書きながら、それまでの愛美との30日間の思い出を話す。その夜、叡山電鉄の駅のホームで2人は別れを惜しが、24時になると、愛美は消えていた。愛美は高寿が語った思い出をメモして、過去に進んでいく。

突飛な設定ですが、あまり不自然さを感じさせずに、良質な、切ないラブストーリーとしてうまくまとめています。

タイトルに象徴的に示されているように、深夜0時になり明日になると、愛美にとっては昨日になっている、という設定。1日の中の時間の流れは同じなのに、日の単位での時間の流れは逆というのは、考えてみるととても不自然で、ここでつまずくと、非常に残念な映画ということになりそうですが、私自身は、ちょっと引っ掛かりは感じつつも、つまずかずに最後まで進むことができました。

その秘密が明らかになることで、それまでの謎の多くは氷解するのですが、全てがそこで明らかになるわけではないなど、伏線をうまく使って、突飛な設定の違和感をうまく抑えているところは見事。

最後、2人の最初の出会いの場面が今度は愛美の視点で描かれると、最初に見たのと全く見え方が異なるのが特に印象的でした。

主演の2人もなかなか。小松菜奈は、しばらく前に映画館で観た「恋は雨上がりように」でも主演でしたが、同作での橘あきらとはまったくタイプの違う役。本作はその2年前、実際の年齢と同年代の役で、世代的な違和感は全くなく、ライティングなどの効果もあるように思えますが、美しく、どこか謎めいた、でも一途な愛美の雰囲気がとてもいい感じでした。

原作が気になったので、七月隆文作の原作小説も借りて読んでみました。 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)

ぼくは明日、昨日のきみとデートする (宝島社文庫)

 

映画はどのくらいアレンジしているのか、映画版との違いが知りたくてまずざっと一読したのですが、意外にそのままだったんだ、というのが最初の感想。

改めて読み直すと、やはりいろんなアレンジが入っていることが分かります。映画の尺の事情からでしょう、原作の40日は30日に圧縮されており、いくつかのエピソードを1つのシーンにまとめていたり、その結果として個々のセリフが出てくる時系列が多少入れ替わっていたりします。大きな変更は、最後の日、映画では高寿が愛美をモデルに絵を描くことになっていて、高寿が5年後に再会した15歳の愛美にその絵を見せるシーンが挿入されていますが、原作では、初めて20歳の高寿に会った愛美が慣れるために高寿の部屋などで過ごすことになっていること、また、高寿が密かに小説を書いていて、愛美がそれを読んだ感想を手紙で伝えるという設定がすっぱりカットされていること、というあたりでしょうか。また、5歳の高寿が助けられるのは原作では震災で起きた火事だったというのも相違します。

しかし、原作から入って映画を観るとまた見え方が違うのだと思いますが、全体としては、映画は原作を損なわずうまく映像化しているように思いました。

原作の小説も、現代の青春、恋愛ものの小説はほとんど読まないのですが、文体はすっと入ってくる感じで、この手の小説としてもなかなかいい作品なのだろうと思いました。