鷺の停車場

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カルロ・ゼン「幼女戦記」第7巻 "Ut sementem feceris, ita metes"

カルロ・ゼン著の小説「幼女戦記」、第7巻に進みました。

幼女戦記 7 Ut sementem feceris, ita metes

幼女戦記 7 Ut sementem feceris, ita metes

 

第6巻に続いて、あらすじ紹介を兼ねて、時期が明示されている場面を列挙してみます。

(以下は統一暦。小説の登場順)

第一章:混乱

1927年04月20日 東部戦線位置不明瞭座標:東部戦線の最前線への緊急展開の命令を受けて出撃したターニャたちだったが、目標地点に到着すると、あるべき友軍はおらず連邦軍の攻勢で混乱し退却していた。連邦軍を迎撃しつつ、退却するサラマンダー戦闘団。組織的な後退すら潤滑に行えない帝国軍に危惧を覚えるターニャ。第二三師団第五四連隊の援護に入るが、連隊長のディリクレ大佐は仮設司令部で砲撃を受けて戦死。ターニャは指揮官がいなくなった連隊を臨時に指揮して、敵部隊を排除する。

第二章:回復

1976年版 東部戦線実録―バクスター博士著:レルゲン戦闘団は東部における『幽霊』、レルゲン大佐をめぐる同時代の記録はところどころ肝心な点で欠落が多い、との記述。

1927年04月22日 東部戦線 某帝国軍終結地点:後方に撤退した第二〇三航空魔導大隊はサラマンダー戦闘団の機甲部隊と合流する。

1927月04月24日 東部戦線 戦闘団暫定駐屯地:連邦軍の二次攻勢に虚を突かれたターニャは機甲部隊を防衛支援に回して航空魔導大隊で迎撃に出るが、敵ロケット砲部隊出現に隊を2つに分けて迎撃に向かう。

1927年04月26日 東部戦線 連邦軍、二次攻勢発起後:敵軍を撃退し敵の遺棄兵器を鹵獲するターニャは敵軍の豊かな装備の中に、連邦、連合王国以外の中立国(合州国製?)のものが混じっていることに衝撃を受ける。

1927年04月27日 東部最前線付近の集落にて:ターニャのもとにレルゲン大佐が現れる。サラマンダー戦闘団が実在しないレルゲン戦闘団の傘下に入り、ターニャはレルゲン戦闘団の次席指揮官となることを告げられ、イルドア王国の観戦武官の受入れを依頼される。

1927年04月28日 東部戦線 サラマンダー戦闘団仮設野営地:警報で起こされたターニャは、戦闘団を前線の防衛支援に出撃させる。

進発開始後二時間後 帝国軍翼端部 サラマンダー戦闘団:予定の任務である側面攻撃はほぼ達成するが、帝国軍の主力が押されている状況に支援に回るが、堅牢な防殻を持つ連邦軍魔導部隊に苦労する。

1927年春季定例戦技研連絡会議宛 東部戦線において鹵獲された敵軍新型宝珠についての技術的報告書:硬いことを除けば優れているとはみなしがたいが、工作精度が低く、高度な能力を使用者に要求しないのは、大量養成した兵員には最適、鈍重だが装甲は堅牢で生存性が高いと評価。帝国軍の天敵ともいうべき性質を持ち合わせていることに、参謀本部は頭を抱える。

第三章:努力と工夫

1927年05月01日 イルドア王国 ガスマン大将執務室:レルゲン大佐が講和の仲介についてガスマン大将と交渉。連邦との交渉を優先すべき、帝国側の要求を業突く張りの要求というガスマン大将に、レルゲンは本国よりの厳命と答え、礼儀正しく執務室を退室する。

1927年05月01日 帝都ベルン:情勢を分析し、対応を協議するルーデルドルフ中将やゼートゥーア中将など参謀本部。ルーデルドルフは連邦領への大規模侵攻計画を主張する。

1927年05月01日 東部戦線 サラマンダー戦闘団指揮所:ターニャは観戦武官としてやってきたイルドア王国陸軍のカランドロ大佐を出迎える。

1927年05月02日 東部戦線 帝国軍野営拠点:接敵の知らせにターニャはカランドロ大佐に説明しながら状況説明を受け、前線への移動を開始する。居住地への砲撃は戦時国際法違反ではと驚くカランドロ大佐に、連邦は条約による保護対象外であり、法的な問題はないと説明するターニャ。市街地戦に承服しがたい違和感を覚えるカランドロ大佐。

1927年05月03日 東部戦線 前線付近 戦闘団駐屯地:後退命令を下すターニャ。防衛可能と主張する歩兵隊のトスパン中尉にその合理性を説明するところに、友軍の誤射を受け、帝国軍の質的低下を実感する。

第四章:鉄槌作戦

1927年05月05日 イルドア王国 ガスマン大将執務室:レルゲン大佐は、一歩たりとも譲るな、との本国の意向どおりに命ぜられた言葉を発することに努める。賠償、領土よりも安心が欲しいと、占領地における住民投票や分割の固定化を最優先に求める。

1927年05月05日 帝都ベルン 参謀本部作戦会議室:参謀本部は、長距離の空挺作戦、航空撃滅戦などを柱とする「鉄槌作戦」を発動する。

1927年05月05日 東部戦線 サラマンダー戦闘団指揮所:「鉄槌作戦」発動を受け、サラマンダー戦闘団の将官たちが具体の運用を協議。

1927年05月07日 東部戦線 最前線部:サラマンダー戦闘団は魔導反応を抑制することで、連邦軍の警戒をすり抜ける形で戦区を突破して侵攻する。

1927年05月08日 東部概況:航空優勢と戦場における主導権は帝国軍に帰する。連邦軍の大規模攻勢作戦は完全に頓挫する。

同日 帝都ベルン 帝国軍参謀本部:順調な作戦の推移を喜ぶ参謀本部、ゼートゥーア中将はレルゲン戦闘団に敵司令部を直撃させることを目論む。

1927年05月08日 東部戦線 サラマンダー戦闘団指揮所:ゼートゥーア中将から司令部直撃の命令を受け出撃するターニャ。

同日 帝都ベルン 帝国軍参謀本部:サラマンダー戦闘団の戦果を待つ参謀本部。成功の知らせを聞き歓喜

1927年05月11日 東部戦線 河川部空挺・戦闘団合同防衛陣地:東部各所で連邦軍が動いたことを知った帝国軍士官たちは動揺する。ターニャは第二〇三航空魔導大隊を率いて残存司令部を叩くが、統制のとれた連邦軍の退却に、予想だにしていなかった連邦軍の質的変化を実感させられる。

同日 帝都ベルン 帝国軍参謀本部:鉄槌作戦は概ね成功するものの、司令部を破壊されながら組織的戦闘を行うことができる連邦軍の能力に、ゼートゥーアは眉をひそめ唸るのだった。

第五章:転機

1927年05月11日 連邦軍決別電:西部軍政治将校が撤退に際し戦闘を踏まえた反省点を記した参謀本部宛て電信を送る。

同日 モスコー 内務人民委員部 執務室:予想外の損害に、問題点が何かを探るロリヤに、政治将校は航空魔導師による航空優勢の欠如を指摘する。ロリヤは大きな見返りを求める帝国の世論を喜ぶ。

同時期 旧協商連合領 北部地域解放区(パルチザン連邦軍呼称)/パルチザン徘徊地域(帝国軍呼称):ミケル大佐のもとに航空魔導師の再配置命令が下る。パルチザンを見捨てて離れることに納得のいかないメアリーに、ドレイク中佐はリリーヤから説得してもらうことをミケルに依頼する。

同時期 東部戦線 帝国軍進出地点(渡河地点):作戦の成功に停戦の実現を期待して喜ぶターニャたち。

第六章:『勝ちすぎた』

1927年05月13日 帝都ベルン 帝国軍参謀本部:帝国軍の膨大な成果に、停戦合意も時間の問題と確信するゼートゥーアたち。

同日午後 帝都ベルン 連絡会議室 最高統帥会議:あまりの戦果に停戦条件を吊り上げる官僚たちに、停戦のために現実的な条件を求めるべきとのゼートゥーアたちの主張は通らない。

同日 在イルドア帝国大使館:レルゲン大佐は、自分たちが苦心してまとめた草案の受諾ではなく、再交渉が命ぜられたことに愕然とする。

1927年05月14日 東部戦線 帝国軍 サラマンダー戦闘団駐屯地:西方の情勢を知らないターニャは、停戦・講和を信じ、帝国は種を蒔いた、蒔いた種は刈り取らねば、と希望を抱いて笑うのだった。

 

副題の"Ut sementem feceris, ita metes"(ウト・セメンテム・フェケリス・イタ・メテス)とは、「収穫できるのは種を蒔いたから」というような意味のラテン語のようです。本巻の最後のターニャのセリフに対応しているのだろうと思います。

停戦・講和を実現するために乾坤一擲の作戦を実行した帝国軍だったが、予想外に成功したことで世論は高揚し、停戦はさらに遠いものとなってしまう。