鷺の停車場

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映画「旅のおわり世界のはじまり」を観る

休日の午前、MOVIX柏の葉に映画を観に行きました。

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この週の上映スケジュール。

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9時過ぎ、朝最初の回の上映はおおかた始まった後のようで、ロビー内の人はまばらです。

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この日観たのは「旅のおわり世界のはじまり」(6月14日(金)公開)。

全国34館と小規模公開のこの作品、千葉県ではここと蘇我だけ、都内でも6館ほどの上映のようです。

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上映は103席のシアター6。お客さんは11~12人くらい。公開初週の週末にしてはちょっと寂しい。

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(チラシの表裏)

監督・脚本は以前DVDで観た「岸辺の旅」の黒沢清、日本とウズベキスタンの合作で製作された作品だそう。

公式サイトのストーリーによると、

 

「みなさん、こんにちは――!今、私はユーラシア大陸のど真ん中、ウズベキスタン共和国に来ています」

カメラが回り、だだっ広い湖畔に明るい声が響く。ジャージにペンギン(防水ズボン)をはき下半身まで水に浸かっているのは、葉子(前田敦子)。バラエティ番組のリポーターを務める彼女は巨大な湖に棲むという“幻の怪魚”を探すため、かつてシルクロードの中心地だったこの国を訪れていた。だが、精いっぱい取り繕った笑顔とは裏腹に、お目当ての獲物は網にかかってくれない。ベテランのカメラマン岩尾(加瀬亮)は淡々と仕事をこなすが、“撮れ高”が気になるディレクターの吉岡(染谷将太)の苛立ちは募るばかりだ。ときに板挟みになりながらも、吉岡の要求を丁寧に通訳するコーディネーターのテムル(アディズ・ラジャボフ )。その間を気のいいADの佐々木(柄本時生)が忙しく走り回っている。

万事おっとりした現地の人たちと取材クルーの悶着が続くなか、与えられた仕事を懸命にこなす葉子。チャイハナ(食堂)では撮影の都合で仕方なく、ほとんど火が通っていない名物料理のプロフを美味しそうに食べるしかなかった。もともと用心深い性格の彼女には、見知らぬ異郷の文化を受け入れ、楽しむ余裕がない。美しい風景も目に入らない。素の自分に戻れるのは唯一、ホテルに戻り、日本にいる恋人とスマホでやりとりする時間だけだ。

収録後、葉子は夕食を求め、バザールへと出かけた。言葉が通じないなか、地図を片手に一人でバスに乗り込む。見知らぬ街をさまよい歩き、日暮れとともに不安がピークに達した頃。迷い込んだ旧市街の路地裏で、葉子は家の裏庭につながれた一匹のヤギと出会う。柵に囲われたヤギの姿に、彼女は不思議な感情を抱く。

相変わらずハードな撮影は続いていた。首都タシケントに着いた葉子は、恋人に絵葉書を出すため一人で郵便局へと出かける。広い車道を渡り、ガードレールを乗り越え、薄暗い地下道を通り抜け…あてどなく街を歩くうち、噴水の向こうに壮麗な建物が見えた。かすかに聞こえた歌声に誘われ、葉子が建物に足を踏み入れると、そこには細かな装飾を施された部屋がいくつも連なっていた。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ…。まるで白日夢のようにそれらを巡り、最後の部屋の扉をあけると、目の前には大きな劇場が広がっていた—

 

というあらすじ。

前半は個人的には見ていてちょっと辛い展開。葉子は、リポーターとしての仕事にきちんと取り組んでいるが、それにやりがいを感じているわけでもなく、ホテルの部屋で恋人とLINE?で会話するのが唯一の楽しみという感じ。用心深い、という葉子の性格は本編でも葉子自身のセリフとして出てきますが、その行動はかなり危なっかしくて、全然用心深くはありません。道路を横断するのは交差点ではなくいつも道の真ん中で、ずんずん歩いて知らない路地に入り込んでしまいます。これは、自分の生き方に迷いがあって心に余裕がない葉子の心象を表現する意図なのでしょうけど、ウズベキスタンの人が好意で声をかけても、言葉が分からないとはいえひたすら警戒して拒む葉子の振舞いは、国や人々を理解しようともせず表層的に視聴者に受けそうな映像を撮れればいいという取材クルーの態度と相まって、心が痛みました。

しかし、後半になって、首都タシケントのナヴォイ劇場が出てくるあたりから、少しずつ葉子に変化が出てきます。ウズベキスタンの人たちの温かさに触れて涙し、自分がもともと目指していた歌手への道を進もうと決意した、と思わせるシーンで映画は終わります。

本編中でもテムルの口から語られますが、ナヴォイ劇場は第二次世界大戦後、シベリアから送られた数百人の日本人捕虜が内装の装飾などの工事を行ったのだそうです。黒沢監督のインタビューによると、この劇場を登場させることがウズベキスタン側のほぼ唯一のオーダーだったようで、ウズベキスタンにとっては日本との交流のひとつの象徴なのでしょう。先に書いたように、葉子が変わり始める大きなきっかけとして印象的に使われています。

葉子が歌うシーンが2回、いずれも重要な場面で、時間的にもけっこうな長さで出てくるのですが、主演の前田敦子の歌唱力は見事。さすが、かつてAKB48のセンターを数多く務めただけあります。

せっかくのウズベキスタンとの合作なら、上げ底はしないまでもウズベキスタンの魅力をもう少し伝えてくれる映画だと嬉しかったなあというのが率直な感想。自分探しの物語としては、展開にやや引っ掛かりを感じる部分もありましたが、まあ悪くない作品になっていると思います。