鷺の停車場

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映画「岸辺の旅」

映画「岸辺の旅」(2015年10月1日(木)公開)をDVDを借りて観ました。 

岸辺の旅 [Blu-ray]
 

湯本香樹実の同名の小説を黒沢清監督が映画化した作品。あらすじを紹介すると、次のような感じ。

ある晩、ピアノ教師の瑞希深津絵里)の前に、ある日突然、3年前に失踪した歯科医の夫、優介(浅野忠信)が現われる。以前と変わらず白玉を食べる優介は、俺死んだよ、蟹に食われたんだ、と言い、心の病で自殺したことを語る。翌朝、優介は、戻ってくるまでの間にお世話になった人たちを訪れる旅に瑞希を誘い、2人は旅立つ。

2人は電車に乗り、まず田舎町で新聞配達店を営む島影(小松政夫)を訪ねる。島影は実は死んでいるが、強い責任感からか、自分ではそれに気付いていない。2人は彼の家に泊まり、瑞希も食事作りやチラシの挟み込みなどを手伝う。3人は壊れたパソコンの送別会をしようとするが、その準備中、島影は以前の妻とのケンカを思い出して興奮し、外に出ていく。探しに出た優介が島影を見付けると、彼はすっかり弱っており、どこかに呼ばれている気がすると言う。島影は、優介におんぶされて帰る途中に寝てしまい、帰宅してベッドに寝かせるが、翌朝、瑞希が見ると、島影は消え、家は廃墟と化していた。

再び電車に乗った2人は、街中で大衆食堂を営む神内夫妻の家に身を寄せ、店を手伝う。この街での暮らしを気に入った瑞希は、この街でずっと暮らしたいと優介に語るが、優介には指先など身体能力の衰えの兆しが見え始める。お店に久々に宴会の予約があり、宴会場の片付けに入った瑞希アップライトピアノがあるのを見て、ピアノの上に置いてあった「天使の合唱」という楽譜を弾き始める。それを耳にして駆け付けてきた妻のフジエ(村岡希美)は「勝手に何やってるの、やめてよね」と咎めるが、その後、フジエは30年前に10歳で亡くなった妹のマコの思い出を話し始める。「天使の合唱」は、その妹が大好きで練習していた曲だった。フジエは、自分が妹をひどく叱って叩いた直後に亡くなったことに、ずっと囚われていたのだった。そこに妹のマコが現れる。瑞希の誘いでマコは「天使の合唱」を弾き始める。最初はぎこちなく途中で止まってしまうが、瑞希に「もう一度最初から、優しく滑らかに、自分のテンポで」と声を掛けられると、最後まで滑らかに弾き通す。弾き終えたマコは微笑んで、姿を消す。

神内夫妻に別れを告げた2人は、バスに乗るが、その車中で優介は瑞希のカバンの中から、自分の不倫相手だった松崎朋子から瑞希宛のハガキを見つけ、2人は口論となる。瑞希は1人で東京の自宅に戻り、病院に勤める朋子(蒼井優)に会いに行く。しかし、瑞希は朋美の毅然とした態度に打ちのめされる。自宅に戻り、激しく動揺する瑞希は、白玉を作り、優介の帰りを待ちわびる。そこに優介が現れ、瑞希を優しく抱擁する。

再び旅に出た2人は、バスに乗り、山村の農家で義理の娘の薫(奥貫薫)と暮らす星谷(柄本明)の家を訪れる。この村で、かつて優介は子どもたちや村の人々に私塾を開いていた。優介が戻ったことを聞いた村人たちは、優介の私塾に集まる。その夜、瑞希は、短大生の頃付き合っていた彼氏のことを初めて優介に話す。
ある日瑞希は、薫の息子のリョウタにお弁当を届けに行くが、村にある滝で瑞希に会ったリョウタは、滝の裏にある洞窟が死者の通り道であの世をつながっていると言う。瑞希は、優介がそこを通ってきたのだと思う。
ある夜、星谷は、瑞希に、2年前に、息子が自分と口論になって家を出ていって死んで、薫も遺体を引き取りに出て行ってしばらく帰ってこなかった、ある日ひょこり優介を連れて帰ってきたが、その間のことは一切語らず、それ以来、いつも魂が抜けたみたいにぼおっとしている、薫はもう生きていないのではないかと語る。しかし優介は、薫は自分とは全然違う、死んでいるのは薫の旦那だと言う。
その後のある日、瑞希は再びリョウタにお弁当を届けに滝に向かうが、滝にいたのは瑞希が16歳の時に亡くなった父(首藤康之)だった。父は瑞希が心配でたまらなかった、優介のことは忘れろと語るが、瑞希は私は大丈夫、5年前に亡くなった母にもそう伝えて、と答える。
一方、優介の身体能力の衰えは少しずつ進んでおり、メロンパンの袋を思うように開けることもできなくなってくる。良太から、薫が知らない男の人と歩いていたと聞いて探しに出た2人は、薫が夫のタカシ(赤堀雅秋)と歩いているところに出会う。優介はタカシに区切りを付けさせてあの世に行かせるため、タカシの望みを聞き出そうとすると、タカシは、俺は死にたくなかったんだ、薫にそう伝えてくれ、と語り、姿を消す。
優介の身体の衰えは更に進み、自力で満足に歩くこともできないようになってしまう。そうした中、私塾で優介は、村人に宇宙について語る。宇宙はどんどん広がっている、宇宙がまだ始まったばかりのこの時代にいられたのは幸せだと言う。その夜、別れが近いことを覚悟した優介は、瑞希に「好きだよ」と伝え、2人は愛し合う。

そして、村を出た2人は、バスで最後の地となる漁港にやってくる。家に一緒に帰ろうと泣きながら懇願する瑞希に、優介は「ちゃんと謝りたかった、でもどうやって謝ればいいのかずっと分からなかった」と語る。瑞希が「望みは叶ったの?・・・また会おうね」と言うと、優介はうなずいて姿を消す。瑞希は、持ってきていた、かつて優介の生還を願って書いた嘆願書に火を付け、帰路に就く。(ここまで)

生の世界と死の世界の境界が曖昧な独特の死生観で描かれた作品。生者である瑞希が、死者である優介とともに旅をし、生の世界に執着が残っている死者の執着を解き、最後は優介も送り出す。

黒沢清監督というと、私の中では、最初に有名になった当時のサスペンスやホラーというイメージだったのですが、かなりジャンルの違う作品。しかし、生者と死者が邂逅するという設定、必ずしも写実的ではない照明の使い方、ちょっとした場面転換の描き方など、そうした雰囲気を感じさせるところも少なからずありました。

表面的なあらすじは先に書いたとおりですが、それ自体が本質的に重要ということではないように思います。行間に語らせる的な描写で、メタファーに満ちているのですが、それを適切に理解できたように思えません。平易な作品ではないことは確かで、登場人物のセリフやモノローグで十分に説明されることはなく、これはどういう意図、意味…なのだろうと思いを巡らせながら観ることになりますが、そのぶん後に残る余韻が大きい、そんな映画でした。