鷺の停車場

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NHKの終戦特番を視る

先日書いた、NHKスペシャル"駅の子”の闘い~語り始めた戦争孤児~」のほかに、NHKで放送された終戦記念日関連の番組をいくつか録画して視ました。

1つは、BS1スペシャル「"悪魔の兵器"はこうして誕生した~原爆 科学者たちの心の闇」。

www4.nhk.or.jp

広島・長崎で多くの被害を与えた原爆の開発は、第2次大戦中のアメリカで、ノーベル賞受賞者ら1200人以上のエリート科学者と多額の予算を密かに投入したプロジェクトとして行われました。その真相を、発掘した参加した科学者の証言テープや資料などを基に、浮かび上がらせた番組。

アメリカの原爆開発の引き金を引いたのは、ハンガリー出身のユダヤ系物理学者のレオ・シラード。ナチスによる原爆開発を危惧し、アメリカにおける研究支援をかのアインシュタインの協力も得て大統領に訴えたのだった。そうした働きかけの結果、原爆開発の「マンハッタン計画」が動き出す。原爆の開発の中心となったのは、1943年にニューメキシコ州に設立されたロスアラモス研究所。その初代所長となったのは、物理学者のロバート・オッペンハイマーだった。番組では、オッペンハイマーが、優秀ではあるが、ノーベル賞のレベルには達しない、「超一流」ではないという劣等感から、原爆開発で名を上げようとかきたてられたのではないか、という雰囲気で描きます。

戦争が本格化する中、科学者たちは、自分たちの研究に対する支援を維持・強化するために、科学者・科学研究のプレゼンス・重要性を認識させることが重要と考え、原爆研究に協力します。科学者たちにとって、原爆研究はそれ自体が目的なのではなく、科学研究に対する支援を確保するための手段であった、というのが真実に近いのでしょう。

だからこそ、ナチスにおける原爆研究が研究室レベルのものにとどまり、実用化の見込みがないことが判明しても、原爆開発の成果を大々的に示す、すなわち、実験レベルの成功では足りず、実戦使用にこだわり、突き進んでいくことになります。そうして、降伏も時間の問題とみられていた状況にかかわらず、いや、そうした状況であるからこそ、実使用を急いで、広島や長崎に投下されることになります。

終戦後、さらに核開発競争が激化する中で、当時原爆開発にかかわった科学者には、核開発に反対する者も出てきます。番組では触れられていなかったと思いますが、ロスアラモスで中心的な役割を務めたオッペンハイマーもその1人だったようです。しかし、一度進んでしまった針は、再び戻ることはありません。
後から批判するのは簡単ですが、自分がそのような状況に置かれたときに、こうした目先の利害にとらわれず、長い目で見て最善の選択をすることができるのかと考えると、普通の人の多くは、たぶん状況に流されてしまうのではないでしょうか。取り上げられた科学者を指弾するのではなく、他山の石として、自らを戒めなければいけないと思いました。

もう1つは、NHKスペシャルノモンハン 責任なき戦い」。

www6.nhk.or.jp

1939年、モンゴル東部の大草原で、日ソ両軍が激戦を繰り広げたノモンハン事件満州国とモンゴルの間の国境線についての主張の対立から生じた紛争、ソ連軍が最新の兵器を含め大量に物資を補給・投入する一方で、日本軍は十分な補給の見通しもなく、手持ちの旧式の銃や火炎瓶など2万人の死傷者を出したとされます。この戦闘を、発掘したソ連軍の記録映像を4KでスキャンしAIによりカラー化した映像や、当時の関係者が語る録音テープなどで明らかにしていきます。
情報を正しく分析できず楽観的な見通しに傾き、現実的な考慮より精神主義が優先される、昨年視た「戦慄の記録 インパール」においてさらに悲惨な結果をもたらすことになった過ちの根源が、ここにもありました。
番組では、ノモンハン事件での過ちが、何らの反省なくその後の太平洋戦争で繰り返されたかのように描かれていましたが、実際には、事件の後、その反省点を調査する取組も行われたようです。ただ、そうした取組で得られた教訓は矮小化され、軍全体に展開されることはなく、太平洋戦争における様々な戦いでは効果的に活用されなかったようなので、結果的には同じようなものです。人材も資材も限られていることが自明である戦争であったのに、なぜ目的合理的な判断をすることができないのか、当時の陸軍に固有な組織的風土の問題であれば過去の問題として対岸から見ていればいいのですが、日本人の組織全般にも共通する要素もきっとあるはずです。