鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「生きてるだけで、愛。」

映画「生きてるだけで、愛。」(11月9日(金)公開)を観に行きました。

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行ったのは新宿ピカデリー。映画の交代サイトを見ると、ここが代表館のようです。

この日は公開2週目の平日夜早めの時間帯、127席のスクリーン9の上映。上映開始15分ほど前にネットで予約した時点で半分以上の席が埋まってました。

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仕事が目論見どおりに終わらず、慌てて向かいましたが、ピカデリーに着いたのは上映時間を5分以上過ぎていました。

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チケットを発券してエレベーターで11階のスクリーン9に入った時には、本編冒頭の制作会社などのロゴ画面が終わろうとしていて、通路側の席の人の視界を遮って(ごめんなさい・・・)席に座った時には既に本当の本編が始まっていました。

本谷有希子の同名小説の映画化だそうで、監督は長編映画デビューの関根光才という人。私は初めてです。

大まかなあらすじは、出版社でゴシップ雑誌の記事を書いている津奈木(菅田将暉)のアパートで、鬱による過眠症で引きこもっている寧子(趣里)。生きづらさを感じて葛藤し、時に自分をコントロールできず衝動的な行動に走ってしまう寧子だが、津奈木とよりを戻そうとする元カノ(仲里依紗)の強引なプッシュで心優しい夫婦(田中哲司・西村尚美)が営むカフェバーでバイトを始める・・・というもの。

感想を一言で言うと、いい意味で心に重たくのしかかる映画。

特に前半は、寧子の、自らの苦しみを津奈木にぶつけるかのような挑発的な言動、時折見せる衝動的な行動に、心が痛みます。どうして津奈木が一緒に暮らし続けているのかも不思議になるくらい。鬱という設定ですが、こうした言動は、典型的な鬱病では決してないと思うので、ボーダーライン(境界性パーソナリティ障害)などのパーソナリティ障害なのかなあ。理解はできなくもないのですが、共感はできなくて、見ているのが辛かった。

後半、バイトで外に出始めるようになって、物語が動き、最後に寧子と津奈木が分かり合う瞬間が訪れますが、その過程では、寧子が抱える「生きづらさ」がうまく描かれていて、その痛みが心に刺さるようでした。

最後はささやかなハッピーエンドですが、客観的には寧子も津奈木もけっこうどん底に落ちて互いに傷を舐め合っているような状態、不器用な2人がその後外の社会と折り合いをつけてちゃんとやっていけるのか、心配になる終わり方でもありました。

俳優陣は、何と言っても、振れ幅が大きく時に過激な寧子の言動を、醜い部分も含め包み隠さず体当たりで演じた趣里の迫真の演技が凄かった。それを受け止める菅田将暉演ずる津奈木のどこか虚無感漂う雰囲気も良くて、これらの素晴らしい演技があって、ぐっと刺さる作品になったように思います。