鷺の停車場

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映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」

映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」(11月16日(金)公開)を観に行きました。

前から気にはなっていたのですが、ネットの評価などを見て、児童虐待のシーンは自分にはきついかも、と行くのを逡巡しているうちに、上映が終了しそうになってきて、ようやく観に行く決心がつきました。

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行ったのは新宿ピカデリー。上映館は全国でも10数館に減っていて、この館も上映最終週。

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この日の上映スケジュール。

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上映は、11階にある127席のシアター9。平日の朝早い時間帯、お客さんは20人ちょっとという感じ。

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(以前もらったチラシ)

小説家・漫画家の歌川たいじによる同名コミックエッセイを映画化した作品で、監督は御法川修

幼い頃から大好きな母(吉田羊)に虐待され愛されることなく育てられてきたタイジ(大賀)は、17歳で耐え切れず家を飛び出し、1人で働きながら生きてきたが、たまたま興味を抱いて入った劇団を通じて知り合った仲間の言葉に動かされ、母と和解しようと向き合っていく・・・というあらすじ。

涙する場面もあっていい映画だったけど、やっぱり辛かった・・・というのが率直な感想。

周囲の人たちの温かい励ましと、本人の諦めない努力があって、最後は母とも和解することができ、明るく終わるのですが、事前の情報で必要以上に身構えてしまったところもあったのか、正視できなかったシーンもあり、重たく心にのしかかる展開でした。

母は、子を嫌い、虐待する人でなしのように映ります。タイジの立場からすれば実際そうなのですが、彼女の立場からすれば、貧しい母子家庭で虐待を受けて育ち、家の跡継ぎを期待されて自分は欲しくなかった2人目を身ごもったのに、夫はその間に女遊びに走り、子育ては自分に押し付けられ、という全くいいことがない人生。

虐待を受けて育った人は自分の子を虐待することになりやすいと聞いたことがあります。誰しも、育ったときの原体験から、どこかしら自分の(育ての)親と似た部分が出てくるのが普通だと思います。虐待は子どもにとって劇烈な原体験なわけで、当然全ての人がそうであるわけでないとして、(本人の意識にかかわらず)そういった部分こそ似てしまうということもあるでしょう。

彼女は、最後までそうした原体験を乗り越えることはなかったのだと思いますが、タイジを理解し、受け入れることで、ようやく、その一歩を踏み出すことができたのではないでしょうか。

タイジも、仕事している中で、母の嫌だった面にそっくりな自分がいることに気付いて愕然とするシーンがありました。彼の場合には、幼少期も、また社会人になっても、幸運にも温かく見守ってくれる人が周囲にいたから、それを乗り越えることができたのだなあ、と観ながら思いました。

何より、母親役の吉田羊の迫真の演技はさすがでした。タイジ役の大賀は、おそらく客観的には好演なのだろうと思いますが、個人的には、本人の演技力というより、演出の面でいろいろ違和感がありました。