鷺の停車場

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テレビアニメ版「幼女戦記」①第1話~第4話

日劇場版を観て想像以上に面白かったので、テレビアニメ版の「幼女戦記」をdアニメストアで見始めました。

カルロ・ゼン著のファンタジー小説をアニメ化したもので、2年前にTOKYO MXで放映されたもののようですが、私自身は劇場版の公開で初めて知りました。仮に知っていたとしても、私が普段好んで見るタイプの作品とは対極的なので、劇場版を観なければ、おそらく見ることはなかっただろうと思います。

テレビアニメ版公式サイトに掲載されているあらすじを引用しながら、各話ごとに紹介します(以下<  >内は公式サイトからの引用です。)。

第1話「ラインの悪魔」

<帝国西方、国境付近のライン戦線。帝国にとって共和国による不意の全面攻勢は、完全に想定外の事態であった。対応に追われた帝国軍は辛うじて防衛線を死守し、協商連合へと北進させていた主軍の転進を発令。戦線の再配置を急ピッチで進めるが、やはり対応の遅れは否めず、初戦における多大な損耗は免れなかった。そこで帝国軍参謀本部は、増援として航空魔導部隊を前線に投入。だが増援は新兵ばかりの寄せ集めに過ぎず、劣勢を余儀なくされていた。塹壕線には砲弾が止むことなく炸裂し、爆煙と轟音のなか、多くの兵士たちが次々と銃弾に倒れてゆく。そんな地獄のようなライン戦線には、戦場に似つかわしくない金髪碧眼の幼女、ターニャ・デグレチャフの姿があった。>

導入のモブの戦闘風景の後、帝国軍の航空魔導師ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ伍長(早見沙織)が戦闘員を救うシーンで始まるが、そこに、外見は少女の上官ターニャ・デグレチャフ少尉(悠木碧)が現れ、「爆炎術式」で敵を一瞬で殲滅する。それを見てヴィクトーリヤ(ヴィーシャ)は「砲弾と銃弾の豪雨の中、気高く駆けるその姿はまるで戦場の妖精」と思う。

時系列的に最初から描くのではなく、ターニャが「ラインの悪魔」と呼ばれることになるライン戦線での戦闘をオープニングに持ってくるところは、構成が巧みです。よく分からないままに、独特の世界に引き込んでいきます。こんな少女がなぜ最前線の戦場で、士官として小隊を率いているのかについて、この回では何ら語られないので、ついていけない人もいるかもしれませんが・・・

その後の本編でも、最低限の舞台説明の後、ライン戦線のシーンに戻り、圧倒的な戦闘能力を有し、上官の命令に反抗する部下に厳しく冷酷に当たるターニャの(軍指導部のレルゲン(三木眞一郎)曰く)「幼女の皮をかぶった化け物」ぶりが遺憾なく描かれます。

第2話「プロローグ」

<帝国郊外の孤児院。ターニャは貧しい生活から抜け出すため、帝国軍への入隊を志願。魔導師としての適性を発揮し、士官学校へ進学する。その最後の研修として、北方のノルデン戦区上空にて、友軍による砲弾射撃の観測任務に就いていた。それは危険などない簡単な任務のはずだった。だが協商連合軍の越境侵犯を契機に帝国と協商連合が戦争状態に突入し、状況は一変。ターニャは敵魔導中隊の奇襲を受け、単独で交戦しなければならない事態に陥ってしまう。多勢に無勢で増援の到着まで持ちこたえられるわけもないが、逃げようものなら敵前逃亡で死罪は免れないという絶望的な状況のなか、ターニャは何としても生き延び、上層部に最善を尽くしたとアピールするため、とある作戦に打って出る。>

この回で、振り出しに戻り、ターニャが軍人となった経緯が描かれます。

現代の日本、合理主義で冷徹なリアリストである主人公。エリートサラリーマンで順風満帆に出世街道を進むはずだったが、同僚の逆恨みで列車が入ってきた駅のホームから突き落とされる。列車に轢かれる寸前時間が止まり、創造主を名乗る「存在X」が周囲の群衆の姿を借りて主人公の無信仰を問責し、過酷な戦争時代に送り込んで反省させ信仰に服させるべく、孤児院で育てられる少女ターニャ・デグレチャフとして別世界に転生させる。ターニャは孤児院で受けた検査で魔道師としての適性があることが判明し、いずれ徴兵されるならと士官学校への道に進む。

士官学校での最後の訓練として北部戦線での実地演習に臨んだターニャ、単なる偵察活動で終わっていたはずが、敵の協商連合軍が越境して、戦争の火ぶたが切られ、着弾観測に当たることになる。敵の魔導部隊の標的となったターニャは戦線離脱の許可を請うが、味方部隊の到着までとどまるよう命ぜられる。高い戦闘能力を発揮し敵の魔導師を次々と撃ち落としていくターニャだったが、弾が切れ、善戦したとアピールしつつ最前線から離脱するため、敵を巻き込んで爆発させ、負傷して落下していく。

しかし、その活躍が目論見以上に高く評価され、士官候補生の身で勲章(銀翼突撃章)を授与されてしまう。ターニャの戦火の時代に安泰に生きていくための合理的・リアリスティックな選択だったはずが、裏目に出ていくことになる。この辺のシニカルな展開は、この作品の面白さの1つになっています。

第3話「神がそれを望まれる」

<協商連合軍との初戦闘から数週間後。戦功を称えられたターニャは、極めて優秀な魔導士官として認められ、幼いながらも帝都の戦技教導隊に配属される。切望していた安全な後方勤務を手にいれたと、内心で喜びを爆発させるターニャであったが、配属先で待っていた任務は、危険な新型演算宝珠のテスト要員であった。検証を任された試作品の性能は極めて不安定で、テストは失敗ばかり。そのうえ主任技師であるシューゲルは、開発のためなら人的犠牲も厭わないマッドサイエンティストであり、テストの中止を訴えるターニャの進言にも全く耳を貸さず、安全性など度外視した実験を強行。ターニャは遂に命の危険を感じ、技術局の本部に転属願を提出する。>

転属願は受理され、新型装備(演算宝珠)の開発中止が決まる。心踊らせるターニャだったが、寝室の人形の姿を借りて「存在X」が現れ、信仰に服さないターニャと対峙する。翌日、主任技師シューゲル(飛田展男)は、どうせ開発中止になるならと、開発中の宝珠のテストを強行する。万策尽きたと諦めてテストに臨むターニャ。案の定暴走する宝珠。そこに「存在X」が現れ、神に祈りを捧げることを強要する。ターニャが祈りを唱えると、宝珠の暴走は止まって安定する。前線に戻ったターニャだったが、戦闘で生き残るため、神への祈りを使わざるを得なくなってしまったのだった。そして、前線での活躍が認められ、ターニャは軍大学に入ることになる。

第4話「キャンパス・ライフ」

<統一暦1924年。北方では協商連合軍と、西方では共和国軍との戦闘が継続するなか、晴れて軍大学生となったターニャは、後方の安全な帝都で大学生活を満喫していた。軍大学といえども、待遇は一般の大学と同じ。さらには国費で給与まで貰える、実に恵まれた環境だった。ターニャは持ち前の知識と効率主義で、学内の座学や実地訓練を要領良くこなし、教官や同輩から高い評価を受けていた。一方、参謀本部では、共和国軍の侵攻によって西方方面軍が崩壊寸前になった事実を重く受け止め、即応力の増強を急いでいた。大規模な軍管区再編は困難であるとの見通しが強いなか、戦務次長のゼートゥーアが新たな即応部隊の創設を提案する。>

キャンパスライフを満喫するターニャだったが、図書室で本を探すターニャの前に戦務次長のゼートゥーア(大塚芳忠)が現れる。戦争の見通しについての私見を求めるゼートゥーア。固辞しきれなくなったターニャは、前世の知識から、世界大戦に発展するだろう、講和をにらみつつ損耗を抑えるべきと述べる。そしてゼートゥーアの打開策の求めに、大隊規模の即応魔導部隊の創設を提言すると、ゼートゥーアは書面にまとめるよう指示する。

ターニャが提言した魔導部隊の創設は、ゼートゥーアによって幕僚会議に提案され、決定される。そして、ゼートゥーアに晩餐に招かれたターニャは、新設する魔導大隊の編成と統率を命ぜられる。「至難の戦場、僅かな報酬、剣林弾雨の日々、絶えざる危険、生還の暁には名誉と称賛を得る」というブラックな募集要項にもかかわらず、多数の応募が寄せられるのだった。

 

まだ物語は序盤ですが、孤児が戦乱の世を安泰に生き抜くために、優れた軍人として戦績を挙げて昇進し、後方で平穏無事に過ごすことを目指すターニャの戦略が、その冷徹な言動、合理的な判断と高い戦闘能力の故に、前線向けの軍人と評価されて裏目裏目に出て行ってしまうシニカルなブラックユーモアと、戦場での劣勢を跳ね返す痛快な展開は、とても楽しく、優れたエンターテインメント作品になっています。

第5話以降についてはまた改めて。