鷺の停車場

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橋本紡「ふれられるよ今は、君のこと」

橋本紡さんの小説「ふれられるよ今は、君のことを」を読みました。そのあらすじと感想です。

ふれられるよ今は、君のことを

ふれられるよ今は、君のことを

 

別冊文藝春秋2011年7月号から2012年5月号にかけて掲載され、加筆・修正を加えて2012年11月に単行本化された作品。

中学校の教師の女性と、その恋人である年下の男性との不思議な関係を描いた作品。

小説に章立てはなく、数字の見出しで6つの部分に区切られています。
多少ネタバレになりますが、ごく簡単にそれぞれの部分の概略を紹介すると、次のような感じです。

1.中学校で社会科の教師をしているわたし(高野楓)は、一緒に暮らす料理が上手な彼と夜を過ごすが、一緒に映画を見終えると、彼の姿は消えていた。学校で、野崎先生に頼まれて、卓球部で練習に不熱心で浮いている市田君と話をする。真面目に練習する気はないが上手なため辞めることもできない市田君に、わたしは、時々社会科資料室の整理をしてもらうことにする。家に帰ると、帰ってきた彼に声をかけられ、2人は一緒に食事を食べる。

2.それから、市田君は社会科資料室の整理に熱心に取り組むようになる。再び彼が姿を消した10日ほどの間、わたしは、ぬくもりを受け入れたことで、以前だったら平気だったのに、今は寂しさに苛まれてしまうことを痛感する。ぼんやりすることが多くなったわたしに、同僚の石川先生や野崎先生が声をかける。彼が戻ってきた日、わたしは感情が溢れて心が震える。

3.彼とわたしは、市民会館で開かれていた古典の読書講座で知り合い、住むところがないという彼に、わたしが声を掛けて一緒に住むようになったのだった。主夫業に打ち込む彼だったが、突然いなくなることがあった。彼に恋に落ちたわたしはある時、その秘密を聞かされたのだった。

4.わたしは彼の勧めで短歌講座に通うことにする。学校では、野崎先生から、あるクラスで女子生徒の一言をきっかけに自分の授業を聞かなくなる、その生徒と話をしてほしいと頼まれる。その生徒・高井を呼び出したわたしは、高井に野崎先生との関係を聞かれて、自分の高校時代の担任だったが、熱血な彼が大嫌いでろくに口もきかなかったと話す。昔の高野先生と同じですと話す高井に、わたしは今までと同じでいいと言って話を終えるが、クラスは普通に戻る。

5.市田は相変わらず資料整理に熱心に打ち込んでいたが、あることで辞書を引き、ページを捲るのを止めない市田に恐ろしさを感じたわたしは、無理やり辞書を取り上げると、市田は悲しそうな顔で資料室を出ていき、姿を見せなくなる。野崎先生に相談すると、以前からそういうことがあったと聞かされる。短歌講座で、講師の田辺先生を知る受講者から、田辺先生の恋愛相手がたまに突然姿を消してしまう人で、両親の許しが得られず別の人と結婚したことを知る。

6.市田が社会科資料室に来なくなったことに寂しさを感じるわたしは、ひとりで生きていこうと思っていたのに、心を許し、ぬくもりを知ってしまった以上、もう戻れないと思う。わたしは、市田を捕まえて社会科資料室に連れていき、自分の幼いころ、野崎先生との関係について話す。その日はそのまま立ち去った市田だが、再び社会科資料室に足を運ぶようになる。そして、わたしは、田辺先生の恋人が、かつての彼であることを知るが、彼と生きていくことを選び、歩み出す・・・

 

と書いてみたものの、本作のストーリーの中心は、上に書いたような表面上に起きる出来事の経過ではなく、その出来事の中で生起していく「わたし」の心の揺れ動きです。周りを拒絶してひとりで生きてきた「わたし」が、彼や市田君と接して受け入れるようになって、その存在を失ってぽっかりと開いた穴の大きさを強く感じ、少しだけ、一歩踏み出していきます。

積極的に行動するというより流れに委ねるような身の処し方、醒めた目で自分を冷静に見つめる主人公というのは、以前に読んだ「月光スイッチ」などと共通します。主人公が自分を見つめ、洞察する部分が多いこともあって、どこかフワフワした印象を受けます。これはこの作家さんのスタイルなのでしょう。

時間の進み方が普通の人とは違う「彼」の存在がひとつの仕掛けなのですが、その設定はあまり生かされていない感じがしました。わたしの生き方の変化が作品のテーマだと思うと、その設定がなくても物語は成立し得たように思いますし、非現実的な設定を入れることでリアリティが薄まってしまった感じもあって、自分にはあまり響きませんでした。