住野よるさんの小説「また、同じ夢を見ていた」を読みました。その紹介と感想です。
実写版・アニメ版でそれぞれ映画化もされたデビュー作「君の膵臓をたべたい」に続いて、2016年2月に刊行された第2作。
若い女性が見る同じ夢、小学生時代の自分と、自分を導いてくれた年代の違う3人の女性との交流と別れを描いた物語。
主な登場人物は、
- 私(小柳奈乃花):小学生の女の子。年は明示されていませんが、読んでいる本などからすると、少なくとも高学年。私は小学5年生くらいだろうと思って読んでました。
- アバズレさん:クリーム色のアパートに住む(おそらく)風俗で働く綺麗なお姉さん。
- おばあちゃん:大きな木の家に住む笑顔が素敵なおばあさん。
- 南さん:使われていない建物の屋上で出会った女子高生。ノートに小説を書いている。
- 桐生くん:奈乃花のクラスメートの男の子。絵を書くのが好き。
- ひとみ先生:奈乃花のクラスの担任の先生。
というあたり。
章建てや小見出しはありませんが、全体は、1から11まで番号が付いた部分に区切られています。
大まかなあらすじは、
小学生の「私」は、学校が終わると、友達の猫を連れて、あるきっかけから友達になったアバズレさんやおばあちゃんを訪ねる日々を送っている。2人とも不在だったある日、たまたま足を向けた建物の屋上で南さんと出会う。3人の友達は、それぞれ大切なことを教えてくれて、私の前から姿を消していく。
それらは、私がいつも見る同じ夢だった。しかし、彼女たちに導かれて、幸せなまま大人になることができたと改めて思うのだった。
というもの。
物語は、小学生の「私」の視点からの日々の描写という形で進んでいきます。最後の11の部分になって、それらが、大人になった「私」がいつも見る夢の描写であったことが明かされます。
小学生の「私」のちょっと独特な感性から切り取られた叙述は、どこかフワフワした浮遊感があって、現実であって現実でないような不思議な感覚がありましたが、これは、夢であることの暗示だったのかもしれません。
3人の友達は、いずれも、「私」が歩んでいたかもしれない未来の姿。
明示されてはいませんが、それを暗示する描写は随所にあります。
名前を教えていないにもかかわらず、「私」の名前を呼ぶ南さん。「私」から桐生くんの名前を聞いて、全てを理解して「私」に謝るアバズレさん。
そして、友達からもらった絵を飾っているおばあちゃん。最後まで読んで初めて、その絵が桐生くんが描いたものであったことが分かる仕掛けになっています。
両親と喧嘩して、仲直りできないまま両親を失ってしまった南さん。どうして両親を失ったかは明かされませんが、最後の部分でさらっと触れられる飛行機事故の記述は、南さんの両親が亡くなった事故のはずです。
自分が特別だと思ったまま成長して、自分の世界を壊してしまったアバズレさん。
自らの過去を悔やむ思いを抱く2人は、「私」に同じ道を歩ませないように、会いに来てくれたのでしょう。いや、「私」が彼女たちに会いに行ったのかもしれません。
前作の「君の膵臓をたべたい」とはかなり雰囲気が違いますが、読んだ後の余韻が心地よい作品でした。