鷺の停車場

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橋本紡「葉桜」

橋本紡さんの小説「葉桜」を読みました。そのあらすじと感想です。 

葉桜 (集英社文庫)

葉桜 (集英社文庫)

  • 作者:橋本 紡
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2014/04/18
  • メディア: 文庫
 

小説すばる」2009年3月号から2010年1月号にかけて連載され、2011年に大幅に加筆修正をした上で単行本化された作品。2014年には文庫本も刊行されています。

発行元の集英社のHPに掲載されている紹介文は、次のようなもの。

<小学生の頃から通う書道教室の先生に長い片想いをしている佳奈。先生には奥さんがいて……。春から夏へと移りゆく季節のなかで、少女の成長を繊細に紡ぎだす青春小説。>

 

主な登場人物は、

  • 櫻井佳奈:高校3年生の女の子。小学生の頃から書道教室に通っている。ひそかに継野先生に恋心を抱いている。
  • 紗英:佳奈の1歳下の妹。美人で、神童級に頭がいい女の子。櫻井家では、かつてからたまに飛び抜けた神童が生まれているが、みんな17歳で自殺していることから、家族たちは、紗英も17歳になったら自殺してしまうのではないかと心配している。
  • 継野先生:佳奈が通う書道教室の先生。
  • 由季子さん:継野先生の奥さん。
  • 津田君:塚本の下で書道を学ぶ佳奈と同い年の男の子。夏休みの間、継野先生の書道教室に通ってくることになる。
  • 塚本翔平:継野先生と同じ師匠に学んだ書家。数年前までは広告代理店に勤めていたが、そこで自分を売り出して書家として独立し、テレビ番組に出て有名になっている。

小説に章立てはなく、数字の見出しで10の部分に区切られています。
多少ネタバレになりますが、ごく簡単にそれぞれの部分の概略を紹介すると、次のような感じです。

1.高校生の櫻井加奈は、学校帰りに自転車で書道教室に向かう。教室に着いた佳奈は、どこか少女の趣のある先生の奥さんの由季子さんに声をかけられる。教室に入った佳奈は、先生から課題として与えられた欧陽詢『九成宮醴泉銘』を半紙に書く。佳奈はこの書道教室で、甘くて、おいしい水を見つけたから、通い続けているのだった。
家に帰った佳奈は、妹の紗英やお母さんと他愛のない会話を交わす。紗英は何をやっても人より上手で、全国模試でトップクラスの成績をとるほど頭のいい妹、佳奈は毎日紗英の部屋に立ち寄るが、それには理由があった。


2.そのことを、佳奈は幼い頃、おじいさんから聞かされていたが、その意味を理解したのは中学生の頃だった。両親の会話を盗み聞きした佳奈は、お父さんが、従兄に神童がいたが17歳で自殺した、櫻井家には同じようなことが何回もあったらしい、自分たちができることは覚悟しておくことだけだ、と語るのを聞いたのだった。
いつも通りに書道教室に行った佳奈は、先生から見せられた千年くらい前の古筆切を見せられる。それは恋の歌とも解釈できる短歌だった。佳奈は、その歌に込められた恋心に自分の先生への思いを重ね合わせる。


3.6月になったある日、紗英の部屋に顔を出した佳奈は、先端が輪になったロープがぶら下がっているのを見る。佳奈が不安に襲われて部屋に入ると、紗英は横に立っていた。自分みたいな子がたまに生まれてきて、17歳で死んでしまうことを知っていて、自分にそういう衝動があるのか試しに作ってみたけど、まったく感じないと語る紗英だったが、佳奈は怯える。
道教室に行った佳奈に、先生は課題として新古今集紀貫之の和歌を示し、その意味を語る。佳奈は穏やかに見える先生の心には、実は熱いものがあるのはないかと思うのだった。


4.ずっと紀貫之の和歌を書き続ける佳奈だが、なかなかうまく書くことができない。先生は、歌の意味を自然と受け入れていっぱい書いて咀嚼していけばいいとアドバイスする。教室を出た佳奈は、教室の先輩で今は都心の大学に通っている里奈に出会う。用事があってこっちに来たから先生にお土産を置いてきたという里奈は、あんなに書ける先生が町の書道教室の先生をしているのには、それなりの理由がある、先生は大切なものを得た代わりに、別の大切なものを手放した、でも先生と奥さんは幸せそうにしている、本当はそれを確かめに来たと語る。
何日もずっと書き続けた佳奈は、あるとき、これまで書けなかった字が書けるようになっていた。先生にも褒められ、真っ直ぐ家に帰る気になれず、何となく駅前に向かった佳奈は、スーツ姿の先生に出会う。先生に誘われ、電車に乗って着いたのは、先生が同じ師匠の下で学んだ昔からの友人の塚本翔平の個展だった。


5.塚本翔平は、テレビにも出ている有名な書家だった。佳奈は先生について個展の書を見ていくが、その展示に塚本のメッセージを感じた先生は、突然に帰ろうと佳奈に声をかけ、会場を足早に立ち去る。
紗英の17歳の誕生日、日を経るごとに美しさを増していく紗英に不安を感じる佳奈だったが、紗英は、結構な確率で死んじゃう、だから、いろんなものを食べたり、きれいな服を着たり、男の子と遊んだり、人が一生かけてやることをこと一年で全部やる、と決意を語り、誘われた男の子の車で出かけていく。
道教室に向かった佳奈は、あの日の帰りのことを思い出す。先生は、塚本は自分を売り出すために有名な広告代理店に入り、それをやってのけた、自分が稼ぐ金はちっぽけなもの、もう塚本には届かない、自分は塚本をうらやましくて仕方ない、でもそう考える自分が嫌いでたまらない、と佳奈に語ったのだった。
教室に着くと、津田という同じくらいの年の男の子がやってくる。佳奈は先生から、塚本の弟子で、夏のあいだだけ預かることになった、困ったときは面倒をみてほしいとお願いされる。


6.書道教室で津田君と一緒に書を書き続ける佳奈。津田君は一目で書ける人であることが分かる人だった。駅までの道に迷う津田君を送ることにした佳奈は、津田君の話から、塚本が個展の展示に込めたメッセージを理解する。先生は、かつては自分に謙っていた塚本が立場が逆転したことを思い知らせようとしたと感じて、会場を立ち去ったのだ。それをまったくわかっていなかった自分の愚かさに泣きたくなる佳奈だった。


7.先生の痛みを知ってから、佳奈は書道教室に通うことができなくなっていた。ずっと先生に近づきたいと思っていたのに、踏み出そうとした途端、怖くなってしまった自分を卑怯だと思う佳奈。派手な格好で出かけようとしている紗英に、玄関で男の子が待っていると伝えられた佳奈が出て行くと、それは津田君だった。
津田君と書道教室に向かう佳奈は、様子を見てきてほしいと先生に頼まれたと聞かされる。津田君は先生である塚本に追いつこうと努力していた。自分は書の道を志しているわけではない、通っているのは書いている落ち着くから、と言う佳奈に津田君は、それだけじゃないように思える、と語る。先生の字が見たい、姿を見たい、心に触れたい、と思う佳奈はとっさにうなずく。


8.ふたたび書道教室に通うようになった佳奈は、夏の間、津田君と筆を走らせる。満足する字は書けないが、一点を目指す津田君を見て、意地のように書き続ける佳奈には、今までの自分には書けない字が書けそうな確かな予感があった。津田君は、継野先生の字はすごい、塚本先生には向かっていくような気持ちさえ持っているが、継野先生には決して届かない気がする、それは本当に怖いと佳奈に語る。
家に帰ると、警察が来ていた。紗英がバイトしていたお店の店長が売春もしており、取り締まりが入って、売り場にいた紗英も連行されたのだという。連絡を受けて早く帰ってきた父親は、本気で怒って紗英を平手打ちにし、部屋でおとなしくしているよう命ずる。紗英も、いつもは穏やかなお父さんをそうさせてしまったことに落ち込む。
合宿のような佳奈と津田君の稽古は夏の終わりになっても続いていたが、その帰り、津田君は、佳奈がこの夏でうまくなったこと、佳奈がいたから通い続けられたと語り、君のことが好きだと告白する。わたしには好きな人がいる、と断る佳奈に津田君は、わかっている、君は僕ではなく継野先生を見ている、と語り、もう継野先生の教室には来ないと告げて去っていく。
自転車を取りに教室に戻った佳奈は、由季子さんに、先生がなぜ上に行くことを求めないのか尋ねると、今はとても有名な書家と付き合っていたわたしが、継野と知り合ってどんどん惹かれていき、継野がわたしを奪ったとスキャンダルになって、未来を諦めてしまった、幸せだとも思うが、つらくもあるの、と聞かされる。


9.津田君の告白や由季子さんの話を聞いた佳奈は、家に帰って、自分の心が、目が、変わってしまったことに気づき、こうなってしまった以上もう戻れない、と心を決める。
佳奈は心を決めて書道教室に向かう。由季子さんも出かけていて、先生と2人きりの教室で、佳奈は自分の先生への恋心を託した和歌を半紙に書き、それを見てもらうために師範席の先生に渡す。怪訝そうな顔をする先生に、佳奈はまた違う和歌を半紙に書いてに先生に渡す。佳奈の思いに気づいた先生は、自ら筆をとって、やんわりと拒絶する和歌を書いて佳奈に渡す。自分の気持ちをわかって向き合ってくれていることに思いが熱くなった佳奈は、また違う恋の歌を半紙に書いて先生に渡す。先生は、今度は明確な拒絶を和歌で書いて佳奈に渡す。さらに和歌を書いて渡した佳奈に動揺する先生だったが、渡された半紙に書かれていたのは別離の歌だった。終わりと感じた佳奈は、震える手で道具を片付け、先生に頭を下げて教室を出て走り出す。


10.その日の夜遅く、佳奈が自宅のベランダに出ると、紗英も来ていた。ベランダで話す2人。紗英は着替えを探すだけで怖い顔をする母親を見ると、とても出かける気にならず家にこもっていたが、自分の運命のことで申し訳ない気持ちになっていた。佳奈は自分が告白して駄目だったことを打ち明ける。静かな夜、夜明けはまだはるか遠いが、2人が見つめる遠くには光が見えるのだった。

(ここまで)

 

自分を見つめる内省的な主人公のモノローグというスタイルは、これまで読んだこの作家さんの他の作品とも共通しますが、これまで読んだ作品が、流れに身を委ねるようなフワフワした印象を受けることが多かったのですが、この作品では、自分で運命を選択して引き受け、自分から踏み出す感じがあって、自分には響きました。これまで読んだ橋本紡さんの作品の中では、自分としては一番いい作品だと思いました。

私も小学生の頃には、書道を習っていたことがありますが、初段になれるかどうかという段階で辞めていて、今ではすっかり汚い字になってしまっています。書道の専門家にどう映るのかわかりませんが、自分のような素人には、書道の奥深さがかいま見える部分も心に響いたのだろうと思います。最後の佳奈と先生が半紙に和歌を書いて思いを伝え合うシーンは、ゾクっとする感じがありました。