住野よるさんの小説「青くて痛くて脆い」を読みました。
本作を実写映画化した映画「青くて痛くて脆い」(8月28日(金)公開)が少し気になっていたので、原作を読んでみようと手にした作品。(結局、映画は観ずじまいになりそうですが…)
文庫本の背表紙には、次のような紹介文が掲載されています。
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人に不用意に近づきすぎないことを信条にしていた大学1年の春、僕は秋好寿乃に出会った。周囲から浮いていて、けれど誰よりもまっすぐだった彼女。その理想と情熱にふれて、僕たちは二人で秘密結社「モアイ」をつくった。――それから3年、あのとき将来の夢を語り合った秋好はもういない。そして、僕の心には彼女がついた嘘が棘のように刺さっていた。傷つくことの痛みと青春の残酷さを描ききった住野よるの代表作。
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章立てはなく、大学4年生となって就職の内定を得た田端楓が「モアイ」を取り戻そうとする姿を描くメインストーリーのところどころに、大学1年生の頃の秋好寿乃との日々を描く回想シーンが挿入される形で物語は進んでいきます。
一言で言えば、未熟で一途になりがちな若さ故に起こしてしまった過ちとそれを受け止めて立ち直る姿を描く物語。
「青くて痛くて脆い」は、主人公である田端楓のことを指しているのでしょう。
「嘘」とは、2人で活動していた頃の秋好が語っていた理想であり、「秋好はもういない」とは、秋好自身がいなくなったのではなく、楓と2人きりで活動していた頃の理想に燃えていた秋好は変わってしまってもういない(と楓が思っている)という意味であることが、終盤のカタストロフィで明かされます。
楓は、大学に公認されてメンバーが増えて大規模な就活系サークルへと変質し、自ら脱退した「モアイ」をぶち壊してそれを取り戻そうとする。しかし、それは自分の弱さから眼を逸らす楓のいわば逆恨みのようなもので、企てが成功して初めて、自分の愚かさに気付いた楓には、達成感は皆無で、後悔と恥しか残らない。そして5年後、社会人として学生との交流会に参加した楓は、当時の反省と決意を学生に語る。
楓は共感できる主人公ではありませんが、無自覚なその醜さをこのように正面から描くのは、簡単にはできないことだと思いますし、いい歳を取った今となっては忘れていることが多い、若いころ、周囲の人々を傷つけてしまった(かもしれない)自分の未熟さに対する後悔や痛みが、否応なしに掘り起こされて、傷口に塩をすりこまれるような感覚がありました。主人公に近い年代の読者であれば、もっと鮮烈に刺さる物語なのだろうと思います。