鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

宮下奈都「遠くの声に耳を澄ませて」

宮下奈都さんの小説「遠くの声に耳を澄ませて」を読みました。

宮下奈都さんの小説は、何冊か読んで、良かった作品が多かったので、図書館で見かけて手にしました。 

新潮社「旅」に連載された小説に加筆訂正を加えて2009年3月に単行本化されているので、この作家の作品としては比較的初期の作品のようです。2011年3月に文庫本化されています。

 

文庫本の背表紙には、次のような紹介文が載っています。

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私は一人でどこへでも行ける。そんなことも忘れていた—―。新しい一歩を踏み出す覚悟をくれた南の島の空。恋を静かに終わらせた北の大地の湖。異国から届くラジオの声に思いを馳せた豊かな記憶。淡々とした日常を一変させる「旅」という特別な瞬間は、気持ちを立て直し、決断を下す勇気をくれる。人生の岐路に立つ人々をやさしく見守るように描く、瑞々しい12編の傑作短編集。

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作品は、紹介文のとおり、12編の短編で構成されています。

各編の大まかな内容・あらすじを紹介すると、次のようなもの。

アンデスの声

農業を営む80歳の祖父が倒れて入院し、母親と見舞いに向かう瑞穂。一度は母と住む町に戻ったが、次に面会に行くと、祖父は急速に衰えていた。祖父が「キト」と声を発したのを聞いた瑞穂は、幼い頃に祖父母の家に預けられていたとき、キトで遊んだ記憶が蘇る。祖父の家で祖母が出した缶からは、エクアドルの首都キトから届いたベリカードが出てくる。

転がる小石

金曜日のお昼前、恋人にふられたショックで体調を崩し会社を休んでいた梨香に、陽子から電話がかかってくる。友達数人と台湾に旅行する予定だったが、当日パスポートを忘れ、波照間島に来たのだという。陽子とは3年ちょっと前にパン教室で知り合ってから、たまに会ったり電話で話したりする仲になっていたが、その間、陽子は小石につまずいて斜面を転がりはじめるような勢いで変わっていった。梨香は陽子においでよ、と誘われて波照間島に向かう。

どこにでも猫がいる

どこにでも猫がいます、と書いた息子からの葉書が、イタリアの知らない町から届く。20歳の時、恋人とシチリア島に旅をした「私」は、彼が世界中を旅していたいと出て行った後、知り合ったばかりの人と結婚し、子供も生まれたが、その子が幼稚園に入る頃に離婚し、友人と共同でデザイン事務所を開いて子供を育ててきたが、その息子は、20歳を祝う席で、世界中を旅してみたいと宣言し、「私」は20年あまり前のときの記憶が重なる。

秋の転校生

東京から商談で北陸に向かう「僕」は、秘かに思いを寄せているみのりのことを考えていた。駅を降りて昼食を食べるため入った定食屋で、客を迎える女性の声に、「僕」の心は波立つ。商談を終えて社屋を出た途端、小学4年生の秋に転校してきて、春を待たずに転校していった谷川瑞穂の記憶が蘇り、彼女はここから来て、ここに帰っていったのだと確信する。

うなぎを追いかけた男

深夜のナースステーションで、入院患者の高田から同じ部屋の濱岡の鼾がうるさいと苦情を受ける看護婦の蔵原。日が経って、蔵原は高田から、濱岡がずっとうなぎを追いかけて、いろんな海に出たらしいと聞かされる。

部屋から始まった

職場で同僚の伊東からどんな身体の不調も言い当てる医者がいると聞いた依子は、その医者にかかるため台北に向かうが、流しなさい、泳ぎなさい、と言われ薬を出されて終わる。ホテルから付き合っているがどこかうまくいっていない北村に電話をした依子は、北村との関係を水に流すしかないと確信し、バリに行こうと心に決める。

初めての雪

梨香を誘って温泉旅行に行った美羽。いつもと違う梨香の様子に、どうしたのか気をもむが、梨香が妊娠3か月であることが分かる。13年ぶりに仕事先で会った大学時代の同級のトキオが父親だという。梨香は、トキオには話していない、トキオとは結婚する予定がないと言うが、トキオをずっと追いかけてきたと涙を流す。

足の速いおじさん

公園に足の速いおじさんが住んでいると、家庭教師先の中学生の繭子から聞かされる七海は、母親の実家にあった様々な玉を集めていた叔父を思い出し、母親の実家に行って祖母から叔父・雅彦の話を聞く。雅彦は建築の修行にスペインに行ったきり、便りが途絶えていた。

クックブックの五日間

20代前半の女性から取材を受ける料理作家の碓井は、この仕事を始めたきっかけが朱鞠内湖だと話し始める。30年以上前、大学の海洋生物研究室の助手だった彼・濱岡と朱鞠内湖に来た碓井は、そこで彼に別れを告げられ、ひとりとどまり、母から借りた旅行鞄の内ポケットに入っていたクックブックを読んで、料理に目覚めたのだった。

ミルクティー

会社近くの喫茶店で、高野から告白された原田真夏。誕生日の2月29日を次に迎えるときまでにもっといい男になって真夏をふりむかせてみせると話す高野に、同じ2月29日生まれの高校の同級生・みのりのことを思い出す。

白い足袋

年下の又従妹の瑞穂が結婚すると知らされ、東京から帰郷した咲子。瑞穂の家に行くと、足袋がないとちょっとした騒ぎになっていた。咲子は瑞穂のために白い足袋を買いに商店に行くが、その帰り、ぬかるみに足を滑らせて転んでしまい、ハイヒールのヒールが折れてしまう。

夕焼けの犬

病院の屋上にひとり涙する内科医の日比野は、その帰り、屋上に向かう看護婦の蔵原とすれ違う。ベテラン看護婦の三上は、患者の人生を考えないわけにいかない私たちはときどきしんどくなる、胸の中の交通整理が必要だと語る。再び屋上に向かうと、病院にやってきた入院患者だった高田が、濱岡の49日と言っていたと語る。

(ここまで)

 

作品は、上で紹介した表面上の出来事というより、その中で主人公が描くさざ波のような心模様が中心になっています。

それぞれの短編は、互いに独立していますが、登場人物はゆるやかにリンクしています。具体的には、

  • 第1編「アンデスの声」の主人公の瑞穂は、第4編「秋の転校生」で「僕」の小学4年生時代の回想に、そして第11編「白い足袋」で結婚する咲子の又従妹として

  • 第2編「転がる小石」の主人公の梨香は、第7編「初めての雪」で主人公・美羽と一緒に温泉旅行に行く友人として

  • 第3編「どこにでも猫がいる」の主人公の「私」とその息子は、第5編「うなぎを追いかけた男」で濱岡を病室に尋ねる女性とその息子して、

  • 第4編「秋の転校生」で「僕」に思いを寄せる同じ会社の女性・みのりは、第10編「ミルクティー」の主人公・真夏の高校時代の同級生の友人として

  • 第4編「秋の転校生」でみのりが「僕」との仲を疑う蔵原佐和子は、第5編「うなぎを追いかけた男」の主人公で看護婦の蔵原の妹として、そして第6編「部屋から始まった」の主人公・依子の会社の同僚として

  • 第5編「うなぎを追いかけた男」で出てくる入院患者・濱岡は、第3編「どこにでも猫がいる」で「私」が住むマンションの管理人兼住人として、また、第9編「クックブックの五日間」の主人公・碓井がかつて恋した大学の助手として、さらに、第12編「夕焼けの犬」では、入院後亡くなり49日を迎えた故人として

という感じです。このほか、第5編「うなぎを追いかけた男」の主人公・蔵原と入院患者の高田、ベテラン看護婦の三上は、第12編「夕焼けの犬」でもほぼ同じ位置付けで再登場しています。こう見ると、第8編「足の速いおじさん」以外の各編は、他の編と何らかの形でリンクしています。この緩やかなつながり・結びつきも心地よいまとまりを形づくっているように思いました。