鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「マイ・ダディ」

休日にTOHOシネマズ流山おおたかの森に行きました。

f:id:Reiherbahnhof:20210924112011j:plain午後早めの時間帯。ロビーにはたくさんの人がいました。

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引き続き1席ずつ間隔を開けての販売となっているため、残席わずかとなっている上映回が数多くありました。

この日観たのは「マイ・ダディ」(9月23日(木)公開)。

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上映は106席のスクリーン10。1席ずつ間隔を開けての販売がほぼ満席だったので、50人近く入っていたのだと思います。

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妻に先立たれ、男手ひとつで娘を育ててきた牧師が、娘の難病発覚という事態に立ち向かう姿を描いた物語。映像クリエイター支援プログラム「TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM」で2016年準グランプリを受賞した企画『ファインディング・ダディー(仮)』を映画化したものだそうで、監督・共同脚本は金井純一。イオンシネマ、TOHOシネマズなどを中心に、全国169館での公開。

 

公式サイトのストーリーによれば、

 

御堂一男(ムロツヨシ)は、中学生の娘・ひかり(中田乃愛)と2人暮らし。最愛の妻・江津子(奈緒)は8年前に他界。一男は小さな教会の牧師をしながら、ガソリンスタンドでアルバイトに励みつつ、ひかりを男手ひとつで育てている。思春期に突入したひかりはちょっぴり反抗的な時もあるが、優しくて面白いお父さんのことが大好き。牧師として多くの人に慕われ、たまに娘と些細な喧嘩をしながらも、2人の穏やかで幸せな日々は続いていく……と思っていた、ある日、突然ひかりが倒れてしまう。病院で下された診断は“白血病”。混乱し事実が受け入れられない一男だったが、担当医師からある衝撃的な事実を告げられる。なんと、愛する娘は、自分の実の子ではなかった。ひかりに適合するドナーは「数百万人に一人」という残酷な現実が一男をうちのめすが、「血縁者は適合率が上がる」という事実に気付いた一男は、ある思い切った行動に出る……。

 

というあらすじ。

  • 御堂一男【ムロツヨシ】:主人公。小さな教会で牧師をしているが、生計のためにガソリンスタンドでアルバイトもしている。

  • 御堂ひかり【中田乃愛】:一男の一人娘の中学生。突然、急性骨髄性白血病に襲われる。

  • 御堂江津子【奈緒】:一男の妻。ひかりが幼い頃、交通事故で亡くなった。

  • ヒロ【毎熊克哉】:江津子の元恋人。シンガーソングライターを目指していたが、今は食堂を営んでいる。

  • 橋本久美子【臼田あさ美】:ヒロの妻。一緒に食堂を切り盛りしている。

  • 青木雄一郎【徳井健太平成ノブシコブシ)】:ひかりの主治医。

  • 米山靖之【永野宗典】:一男がアルバイトするガソリンスタンドの経営者。

  • 長崎亮太【小栗旬】:一男がひかりの実の父親探しを依頼する探偵事務所の男。

  • チューさん【光石研】:一男の教会の炊き出しなどに顔を出す常連のホームレス。かつて妻と娘がいた。

など。

 

父親の愛情、苦悩がうまく描かれ、じんわり心が温まるいい作品でした。周囲でも、いいシーンで涙を流して鼻をすする音が聞こえ、感動された方が少なからずいらっしゃったように見受けられました。

映画の冒頭、一男とひかりのシーンと、江津子とヒロのシーンが入れ替わり描かれ、最初は同じ時間軸のシーンだと思って観ていましたが、途中で、江津子のシーンが、一男と結婚する前のシーンだったことが分かります。このあたりはうまい表現。

ちょっと引っかかったのは、ヒロの浮気現場を目撃して衝動的に同棲していた部屋を飛び出した江津子が、ふらっと入った教会で一男と出会い、結婚して子ども(ひかり)も生まれたのですが、ひかりは別れる前のヒロとの間の子だった・・・という話。普通に考えれば、出会いからスピーディに結婚したとしても、前の恋人と別れてからは月単位の期間は開くはず。その期間のズレに気付かないのには、不自然さは拭えないところがありました。もっとも、回想シーンでは、江津子はヒロとの再会でそれを勘付いたことを匂わせるような描写もあったので、江津子は内心気付いていたが一男には明かせないまま亡くなってしまい、一男だけが、そのへんの知識が乏しく、また、江津子を信じ切っていたため、全く気付かなかったということかもしれません。