鷺の停車場

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晩秋の長崎旅行⑤軍艦島

つづき)11月に行った長崎旅行の2日目。

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朝、ホテルの室内からの眺め。正面に写っているのは、前の晩にロープウェイの無料循環バスに乗ったホテルニュー長崎です。空は晴れていますが、天気予報は次第に下り坂。

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8時40分ごろホテルを出て、最寄りの五島町駅へ。

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ここから大浦天主堂駅に向かいます。

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1番系統の崇禅寺行きの路面電車に乗ります。

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新地中華街駅で5番系統の石橋行きに乗り換え。

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9時すぎ、終点の1つ前の大浦天主堂駅で降ります。

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2~3分で軍艦島デジタルミュージアムに到着。前日には気づきませんでしたが、グラバー園に行った際に定期観光バスが停まった駐車場のすぐ脇でした。

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軍艦島上陸ツアーを開催している会社はいくつかありますが、デジタルミュージアムにも興味があったので、セットで見学できるこのツアーを予約していました。料金は、土日祝などの特定日の場合、乗船のみのコースが大人4,500円・中高生3,800円・小学生2,500円・未就学児1,500円、軍艦島デジタルミュージアム入館料込みの優先乗船コースが大人5,400円・中高生4,450円・小学生2,900円・未就学児1,750円で、いずれも平日の場合は500円ずつ安くなります。このほか、船内のいい席に座れ、各種サービスが付くプレミアムコースもあります。これらのツアー料金のほか、軍艦島の上陸料として、中学生以上310円、小学生150円がかかります。

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1階の受付でツアーの受付を終え、ツアーの集合時間までの間、2階〜4階の軍艦島デジタルミュージアムを見学しました。

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2階は混み合っていたので、まず3階へ。こちらは、日本で最も古い高層建築である30号棟の模型。

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崩壊してしまった体育館の経過を復元した模型もありました。

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軍艦島全体の模型もありました。

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4階には端島に実際にあった旧階段を再現したセット「地獄段シアター」が。その奥には、軍艦島の高台にあった端島神社が再現されていました。

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4階まで見た後で2階へ。「軍艦島シンフォニー」では、プロジェクターで各建物を紹介していました。その後、9時半から、おそらく30分ごとに行われている、実際に住んでいたガイドさんの解説で当時の写真などの映写を見て、9時50分ごろ、ツアーの集合場所の常盤ターミナルに向かいます。

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ターミナルに向かう途中に、旧香港上海銀行長崎支店がありました。明治37年(1904)に竣工した、長崎市内では最大級の石造り洋館とのこと。今、長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館となっています。

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5分も経たずに、常盤ターミナルに到着。

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奥の船が乗船するジュピター号。

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10時すぎ、ジュピター号に乗船。出港予定は10時30分でしたが、乗船が早く終わり、6~7分早く出港しました。

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少し進むと、右手に三菱重工業の長崎造船所が見えてきました。中央に写るのは、旧グラバー住宅や軍艦島端島炭鉱)とともに、2015年7月に登録された世界文化遺産明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成遺産の1つであるジャイアント・カンチレバークレーン。1909年(明治42年)に建設された大型電動クレーン、高さ約62m、アーム部分の長さ約75mあり、100年以上経った今も稼働しているそうです。

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中央右側の奥まった部分は、これも世界文化遺産の構成遺産となっている第三船渠(第三ドッグ)。

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第二船台。戦艦武蔵はここで建造されたのだそうです。長崎造船所では、新型コロナ感染初期に有名になったクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」なども建造されているとのこと。

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さらに進んで、女神大橋の下をくぐります。

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距離は片道約1.3km。海面から65mという高い位置にあるのは、長崎に入港する大型船が通れるようにするためなのだそうです。

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出港して25分ほどで、伊王島に到着。ここを出発すると、外海に出て、軍艦島に向かいます。

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15分ほどすると、軍艦島が見えてきました。

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さらに近づくと、船はスピードを落として、上陸時には近づけない外海側の住宅エリアを案内しながらゆっくり航行します。
左側は1958年に建てられた端島小中学校(70号棟)。7階建てで、1~4階が小学校、5~7階が中学校だったそうで、窓が大きいのは、職員住宅では太陽の光が入りにくいので、子どもたちに太陽の光を浴びさせようという配慮だったのだとか。
中央の大きな建物は1945年に建てられ、その後増築された65号棟。コの字型。9階建て・317戸の巨大な職員住宅。間取りは、6畳にもう一間が付いた2K。コの字のへこんだ内側の部分には公園が、9階の屋上には幼稚園があったそうです。
やや右側、65号棟の手前には、1958年に建てられた端島病院(69号棟)、その右側には同年に建てられた隔離病棟(68号棟)が見えます。

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左から、69号棟、68号棟(その奥は65号棟)、1950年に建てられた単身寮の67号棟、1940年に建てられた66号棟、1953年に建てられた61号棟、60号棟、59号棟、1916年に建てられた16号棟、1961年に建てられた51号棟、1955年に建てられた48号棟、1964年に建てられた端島公民館(39号棟)、1927年に建てられた映画館(昭和館)の50号棟と、建物が所狭しと並んでいます。61号棟の地下には共同浴場、60号棟・59号棟の地下には購買所、48号棟の地下にはパチンコ屋などがあったそうです。

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角度を変えて、上の写真とほぼ同じ建物を撮った写真で、左端が69号棟、右端に半分写るのが48号棟です。中央やや右手の上に見えるのは、拝殿が失われた端島神社の本殿、右端上部の建物は1959年に建てられた幹部用の3号棟のようです。

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さらに進んで、左奥が16号棟、その隣が51号棟、48号棟、39号棟、ほぼ全壊している50号棟、1957年に建てられた31号棟、その奥が、1916年に建てられた日本最古の高層建築(RC造アパート)である30号棟です。30号棟は、6畳一間と手狭な間取りで、閉山時には下請社宅として使われていたそうです。

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中央から左側にかけてが31号棟、その右奥が30号棟。31号棟の左下には、1つだけ広い開口部が見えますが、これは2階、ボタを海に捨てるためにアパートを貫通するベルトコンベアを通していた場所だそうです。

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ほぼ同じ建物を角度を変えて撮った写真。

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船はいったん軍艦島から少し離れ、島の全景を撮れる場所に移動します。確かに軍艦っぽい輪郭です。

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外海側の住宅エリアを戻って、上陸地点のドルフィン桟橋に向かいます。

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再び、端島小中学校(70号棟)、65号棟、端島病院(69号棟)、隔離病棟(68号棟)の脇を通ります。

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端島小中学校を横から見たところ。

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端島小中学校と65号棟の裏側。その手前にあるのが資材倉庫で、その間には1970年に建てられた最も新しい建物だった端島小中学校体育館(71号棟)がありましたが、台風などで崩壊してしまっています。

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3号棟。その右隣は1950年に建てられた2号棟です。

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11時35分ごろ、ドルフィン桟橋に到着、上陸します。

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桟橋からトンネルを通って、第1見学広場へ。

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受付時にもらったパンフレット。住宅エリアなどの建物が密集するエリアは、崩壊の危険から近づけないようになっていて、赤色で示されている炭鉱の中心施設があった南側のごく一部だけを歩いて見ることができます。

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第1見学広場から端島小中学校方面を望んだところ。手前右がブロアー機室、その奥には貯炭ベルトコンベアーの支柱が見えます。

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30号棟も見えます。

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第1見学広場には全体の案内図もありました。

当時の写真を紹介しながらのガイドさんの説明を聞いて、第2見学広場に移動します。

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第2見学広場の脇に残る、明治時代に造られた護岸。ガイドさんの説明によれば、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されているので、大正以降に建てられた現存する建物ではなく、これが世界文化遺産の本体なのだとのこと。

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第2見学広場から総合事務所、会社事務所を望んだところ。総合事務所には炭鉱から帰ってきた鉱員が綺麗な風呂に入る前に荒洗いをする大きな共同浴場があったそうです。奥には30号棟も見えます。

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その右側に見える、主力抗だった第二竪坑に行くための第二竪坑入坑桟橋跡。昇降階段部分が残っています。

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第2見学広場から第3見学広場の間は、修理工場などがあったエリアです。このあたりで、雨が降り出してきました。

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第3見学広場の正面には30号棟が見えます。左端は31号棟、その2棟の間の奥には、1931年に建てられた宿泊所・職員住宅の25号棟が見えます。

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30号棟。パンフレットでは健在だった中央右寄りの部分は、昨年の台風で崩壊してしまったとのこと。もはや修復工事ができるような状態にはなく、壊れるのを待つしかないのだそうです。数年後には、すっかり崩れてしまっているかもしれません。

軍艦島では、住環境・労働環境は良くない一方で、鉱員の稼ぎな良く、高卒公務員の初任給が月6万円台だった時代に、下請社員でも60万円を稼いでいたそうで、テレビの普及率もかなり高かったそうです。

雨が強くなってきて、第3見学広場での説明が終わると、みんな急ぐように船へと戻り、12時20分ちょっと前にドルフィン桟橋を出発。

帰りの船内では、軍艦島の当時の映像の紹介のほか、1869年に完成した現存する日本最古のレンガ建築である小菅修船場跡、1904年に建てられた皇族や貴賓を迎える迎賓館として使われた占勝閣など、長崎に所在する他の世界文化遺産の説明などを聞きながら、常盤ターミナルへ。小菅修船場跡は、ほんの小さくですが、船からも見ることができました。

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伊王島を経て、予定よりも少し早め、13時すぎに常盤ターミナルに帰着。思ったよりじっくり見ることができて、これが目当てだった子どもも満足していました(つづく