鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「マイスモールランド」

休日の午後、MOVIX柏の葉に行きました。


ロビーにはそれなりにお客さんがいました。


この日の上映スケジュール。19作品・21種類の上映が行われていました。


私が観たのは、「マイスモールランド」(5月6日(金)公開)。


上映は103+2人のシアター1。お客さんは25人くらいだったでしょうか。


日本に逃れて来たものの、難民認定が受けられないとクルド人家族の苦境を、17歳の長女の目線から描いた作品で、監督・脚本は川和田恵真。本作の舞台となっている埼玉県には2000人ほどのコミュニティが存在しているそうです。

 

公式サイトのストーリーによれば、


17歳のサーリャは、生活していた地を逃れて来日した家族とともに、幼い頃から日本で育ったクルド人
現在は、埼玉の高校に通い、親友と呼べる友達もいる。夢は学校の先生になること。
父・マズルム、妹のアーリン、弟のロビンと4人で暮らし、家ではクルド料理を食べ、食事前には必ずクルド語の祈りを捧げる。 「クルド人としての誇りを失わないように」そんな父の願いに反して、サーリャたちは、日本の同世代の少年少女と同様に“日本人らしく”育っていた。

進学のため家族に内緒ではじめたバイト先で、サーリャは東京の高校に通う聡太と出会う。
聡太は、サーリャが初めて自分の生い立ちを話すことができる少年だった。
ある日、サーリャたち家族に難民申請が不認定となった知らせが入る。
在留資格を失うと、居住区である埼玉から出られず、働くこともできなくなる。
そんな折、父・マズルムが、入管の施設に収容されたと知らせが入る……。

 

・・・というあらすじ。

主な登場人物は、

  • チョーラク・サーリャ(17)【嵐莉菜】:クルド人の高校三年生。夢は小学校の先生。

  • 崎山 聡太(17)【奥平大兼】:サーリャのバイト先の同僚。高校三年生。

  • チョーラク・マズルム(48)【アラシ・カーフィザデー】:サーリャの父。サーリャが幼い頃に日本へ移住。

  • チョーラク・アーリン(14)【リリ・カーフィザデー】:サーリャの妹。中学二年生。日本語しか話せない。

  • チョーラク・ロビン(7)【リオン・カーフィザデー】:サーリャの弟。小学二年生。内向的な性格。

  • 太田 武(47)【藤井隆】:サーリャのバイト先のコンビニの店長。聡太の叔父。

  • 崎山 のり子(43)【池脇千鶴】:聡太の母。一人で聡太を育てる。

  • 小向 悠子(35)【韓英恵】:ロビンの小学校の教師。

  • 原 英夫(45)【板橋駿谷】:サーリャの高校の担任。

  • 西森 まなみ(17)【新谷ゆづみ】:サーリャの高校の同級生

  • 野原 詩織(17)【さくら】:サーリャの高校の同級生

  • ロナヒ(33)【サヘル・ローズ】:クルド人。サーリャを気遣う。

  • 山中 誠(73)【平泉成】:サーリャ家族のため奮闘する弁護士

など。

 

声高に主張することはせず、サーリャたちの姿を淡々と描くことで、かえって問題の重さを実感させられる映画でした。サーリャが理不尽な状況に向き合う凛とした姿が深く印象に残りました。

冒頭、この映画では3つの言語が使われている旨のキャプションが流れます。具体にどの言語かは明示されませんが、1つは言うまでもなく現在住んでいる地の言葉である日本語、もう1つはかつて住んでいた地の言葉であるクルド語、もう1つはおそらく、食事の前などに行う祈りで用いられる言語(具体に何かは分かりませんが)なのでしょう。

難民申請が却下され、ビザが失効して仮放免となった一家は、就労ができず、許可なく居住地の埼玉県を出ることができない状況に陥ります。サーリャは教師となるためお金を貯めようと川口から川を渡った向かい側の東京都のコンビニでバイトしていましたが、壮太の母親にその実情を打ち明けたことを契機に、壮太の叔父である店長に知られ、不法就労はさせられないとクビになってしまいます。そんな中、働こうとした父親が運悪く警察に見つかり、入管に収容されてしまいます。サーリャは滞納する家賃を払おうとパパ活も試みますが、順調にはいかず、経済的に困窮しているところを、サーリャに恋する壮太が手を差し伸べます。父親は、親が帰国する代わりに子どもにビザが出た例があると知って、子どもたちのために帰国する決意を固め、面会に訪れたサーリャにその決意を伝え、祈りを唱えます。

エンドロールには、取材から創造されたフィクションである旨の注記が流れていたので、この物語自体は、特定の家族の実話を基にしたということではないのだろうと思います。制度は必ず悪用しようとする人がいるので、難民認定性善説(申請者の言い値)で運用すべきでないとは思いますが、クルド人難民認定が認められないのは、その大半が親日国であるトルコからの来日者で、難民認定はトルコ国内で政治的迫害が行われたと認めることになってしまうという、両国関係への配慮も背景にあるようです。本来、そうした配慮で難民認定の有無が左右されてはならないはずですが、せめて、現在、ロシアの軍事侵攻に伴うウクライナからの避難者を人道的観点から受け入れているように、クルド人についても、トルコの政治的迫害と認定しない形で受け入れる現実的な対応はできないのでしょうか。