鷺の停車場

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アニメ映画「FUNAN」

先週、アニメ映画「FUNAN」(フナン)《字幕版》(2020年12月25日(金)公開)を観ました。

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行ったのはシネ・リーブル池袋。ルミネ池袋の8階にあります。この映画館に来るのは初めてです。

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この日の上映スケジュール。

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ロビーにはFUNANの展示もありました。

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上映は、180席のシアター1。お客さんは、世間的には平日の午前とあって10人ほどでした。

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finefilms.co.jp

監督はフランス生まれでカンボジアにルーツを持つドゥニ・ドー、自身の母親の体験を基に、ポル・ポト率いるクメール・ルージュに支配された1975年以降のカンボジアを舞台に、息子と離れ離れになった母親が再会を願って生き抜く姿を描いた作品で、2018年のアヌシー国際アニメーション映画祭で長編コンペティション部門の最高賞であるクリスタル賞を受賞しています。

なお、タイトルの「フナン」は1世紀から7世紀にかけ、現在のカンボジアベトナム南部周辺にあった古代国家「扶南」から取られているとのこと。

 

公式サイトのストーリーによれば、

 

カンボジア、1975年4月。武装組織クメール・ルージュによるプノンペン制圧のニュースを境に、多くの住民が強制労働のため農村に送られる。一家で農村へ移動する道中、息子ソヴァンと離れ離れになってしまった母親のチョウ。農村での革命組織(オンカー)の監視による苛酷な労働や理不尽な扱いは、彼女と夫クン、そして共に生活する家族を一人、また一人と追い詰めていく。しかし、チョウは決して諦めない。生き延びて、最愛の息子を取り戻すため—。

 

というあらすじ。

主な登場人物は、

  • 主人公・チョウ(声:Bérénice Bejo ベレニス・ベジョ
  • チョウの夫・クン(声:Louis Garrel ルイ・ガレル
  • チョウの息子・ソヴァン
  • クンの弟メング(声:Brice Montagne ブライス・モンターニュ)
  • チョウの母(声:Céline Ronté)
  • チョウの祖母・ナイ(声:Colette Kieffer コレット・キーファー)
  • チョウと同居する家族?・リリー(Lila Lacombe)、フー(声:Maxime Baudoin)、トゥク(声:Tom Trouffier)
  • チョウの従兄弟で革命軍に加わっているソク(声:Thierry Jahn)
  • 同じ村で働く女性・チャン(声:Aude-Laurence Clermont Biver オード・ローレンス・クラモント・バイバー)
  • 革命軍側についている女性・パウ(声:Emilie Marié)

・・・というあたり。

 

重たいテーマですが、心に刺さる物語でした。

1975年から約4年間続いたクメール・ルージュ支配下で、多くの民衆の命が失われたことは、知識としては知っていましたが、このように民衆の目線から描かれると、仮に高邁な理想から始まったものであったとしても、結果としては民衆に悲惨な結果をもたらした愚かな社会実験に終わったことを痛感させられます。

若干ネタバレになりますが、チャンの家族でいえば、トゥク、リリー、フーとクンは(ついでに言えばソクも)命を失い、途中から出てこなくなる母・祖母とメングも、おそらく同様なのでしょう(メングは違うかもしれませんが)。最後まで(確実に)生き延びたのは、チャンとソヴァンの2人だけ、という辛い結果に終わります。

変なたとえかもしれませんが、第二次世界大戦で悲惨な結果に終わった旧日本軍の作戦(例えばインパール)のドキュメンタリーを見たときに覚えた、どうしようもないやるせなさ、やり場のない怒りに近い感情を抱きました。

ただ、前景に描かれるのはチョウたちが直面する苛酷な現実ですが、その背景にカンボジアの風景の美しい映像が描かれることで、重すぎる空気感にならないようになっていました。これはアニメならでは可能なことだろうと思います。

人が殺されるシーンも少なからず出てきますが、直接の描写を避け、周囲の映像、銃声の音といったソフィスケートされた表現で描かれているところにも、同様の配慮を感じましたし、最後のチャンとソヴァンの姿は、悲惨な過去を乗り越えて見える一筋の光を感じさせる終わり方になっていました。