鷺の停車場

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旅客船KAZUⅠ沈没事故 調査報告書を読む

昨年4月に知床半島沖で発生した旅客船KAZUⅠ沈没事故について、9月7日(木)に国の運輸安全委員会が公表した「船舶事故調査報告書」を読みました。

概要説明資料報告書本体

先日このブログでも書きましたが、8月に旅行で知床に行った際、同業他社の小型船で同じ「知床岬コース」の知床半島クルーズに乗ってきたばかり。

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その際も、実際に沈没現場付近を通りながら、どうしてあのような事故が起きてしまったのだろうかという疑問が頭をよぎる瞬間がありました。その記憶がまだ残っているうちに、報告書が公表されたことをニュースで知って興味を持ち、読んでみました。

(事故前に航行中のKAZUⅠ:テレビ朝日ホームページより)


(事故後に引き上げられたKAZUⅠ)

 

「船舶事故調査報告書」の本体(以下「報告書」と略します)に記載されている「事故発生に至る経過」から引用すれば、

「本船は、本船船長及び本船甲板員が乗り組み、旅客24人を乗せ、令和4年4月23日10時00分ごろ、知床岬に向け、ウトロ漁港を出航した。本船は、知床半島に沿って北東進を続け、11時47分ごろ知床岬に到達し、折り返した。本船は、カシュニの滝沖を航行中、13時18分ごろまでに主機関が停止し、船首が浸水して沈んでいる状態となり、13時26分以降短時間のうちに沈没した」

という事故。


運輸安全委員会HPで公表されている説明資料に収載されている事故当時の航路経路図を、参考までに掲げておきます。

 

船長・甲板員と旅客18人の計20人の死亡(死因は、いずれも海水溺水による窒息)が確認され、残る旅客6人は今なお行方不明となっています。

なお、報告書によれば、運輸安全委員会の発足(平成20年)以降に調査対象となった小型旅客船の事例293件のうち、沈没事故は、係留中に潮の干満で舷側が護岸に引っ掛かって浸水して沈没した事例1件のみで、この事故のように航行中に浸水して沈没した事例はないそうです。この事故が、犠牲者数の規模だけでなく、質的にも異例の大事故であったことがわかります。

 

当日は、寒冷前線知床半島付近を通過し、その後には強い風が吹くおそれがある状況で、出港時の港付近の波高は約0.2~0.3mと穏やかだったものの、波浪注意報が発表されており、航行予定だった10時~13時の時間帯には、北西の風速15m/s の強風・波高2~2.5mの波浪が予測されていました。報告書によれば、波浪推算の結果から、実際の波高も、折り返し地点の知床岬付近(11時45分ごろ)で1.0mを超え、沈没直前のカシュニの滝沖(13時13分)では2.0mであったと推定されています。

 

直接の沈没の原因、沈没に至るまでの経過については、次のような分析がなされています。(なお、報告書を読んで自分なりに整理したもので、項目の分け方や細部の記載は必ずしも報告書どおりではありません)

  1. 船首甲板部のハッチは、経年変化により生じた部品の劣化や緩みに対し、十分な点検・保守整備が行われてなかったため、蓋が確実に閉鎖されていない状態にあった

  2. 寒冷前線オホーツク海通過に伴い、北西寄りの風が吹いて波が高まる状況で、知床岬で折り返した後の復路では、1.0mを超えた波高の波が船首甲板部に打ち込む状態になった

  3. 確実に閉鎖されていない状態だった船首甲板部のハッチの蓋は、12時05分~13分ごろの知床岬で折り返した後の比較的早い段階で、波による船体動揺で船首に生じる下向きの加速度が重力加速度1gを超えたことによって浮き上がって開き、垂直を越えて、ストッパーのある120°まで開いた(そのため、再び蓋が戻って閉まるということにはならなかった)

  4. 風速は衰えず波高が高くなる状況で、船首甲板部に打ち込んだ波により、蓋が開いたハッチから海水が甲板の下の船首区画に流入した

  5. 海水は船首区画との間の隔壁の開口部から隣接する倉庫区画に流入し、さらに倉庫区画との間の隔壁から更に隣接する機関室に流入した

  6. 機関室に流入した海水が船底から約60~70cmに達すると、主機関の電子制御系の部品が海水に接触してショートし、主機関が停止した

  7. 浸水が進むについて船首は下がっていき、ついにはハッチの上端が喫水線(海水面)よりも下になる状態となり、大量の海水がハッチから流入した

  8. 沈没の直前には、開いた船首甲板部のハッチの蓋が直接波にたたかれるようになり、ヒンジが壊れて外れた蓋が前部客室の前面中央のガラス窓に当たってガラスを割ったことにより、窓からも海水が流入した

  9. 最終的には、こうして流入した海水の重量を含む船舶の重量が浮力より大きくなり、沈没に至った

というもの。些細な不具合としか認識されていなかったのであろう、ハッチの蓋が確実には閉まらない状態になっていた、ということが、大きな命取りとなってしまったというのは、大きな驚きです。

ただ、報告書に記載されている元船長の口述によれば、この船は、波高2.0mを超える波が来たら航行できない、とのことであり、沈没した時間帯のカシュニの滝沖の波高が実際に2.0mを超えていたことからすれば、仮にハッチの不具合がなかったとしても、遠からず航行が困難な状態に陥り、何か別のトラブルによって犠牲が発生した可能性も高かったのだろうと思います。

先に触れたように、風速15m/s の強風・波高2~2.5mの波浪が予測されていたという状況は、運行基準において定められている、航行中に風速8m/s以上または波高1.0m以上に達するおそれがあるとの運行中止基準に照らせば、出航してはならない状況でした。それにもかかわらず、船長の甘い判断で出航してしまったということになります。

 

加えて、報告書では、①本船が運航中止基準に当たる状況に遭遇せずに運航を終えるためには、ルシャ川河口沖付近に達した時点(11時ごろ)で引き返さなければならなかった、②ウトロ漁港に引き返すのであれば、どんなに遅くとも往路でカシュニの滝を過ぎるころ(11時20分ごろ)までには航行の継続を中止して反転しなければならなかった、③それ以降も航行を継続した場合には、避難港である知床岬地区(文吉湾)のウトロ漁港の分港へ臨時寄港すべきだった、にもかかわらず、これらの措置はとられておらず、船長は気象・海象の推移を予測し、的確な時機に引き返す判断を下すことができる能力を備えていなかったと指摘しています。

さらに、会社には実質的な運航管理体制が存在しておらず、事務所に運航管理を行い、船長の判断を支援する者がいなかったことに加え、同業他社では観光船の運航を開始していなかったため、経験の浅い船長が1人で運航判断をせざるを得ない状態だったこと、事故発生より相当前から安全管理体制に不備があり、監査等を経ても改善されることがなかったことなどの体制面の問題、そして国などの審査・検査の実効性の問題なども指摘されています。

 

なお、当日の知床半島西側海域の海面水温は約4℃であり、この低温の海水に浸かる状態となった乗員26人は、10分以内に極度に体温が低下して意識を失い、数分~10数分程度の短時間のうちに海水を飲んで窒息し死亡したもので、海水に浸かる状態となってから生存していた時間は、長くても30分ほどだったとしています。

捜索活動の遅れについての指摘もありますが、これが事実であるとすれば、結果的には、捜索・救助活動がどれだけ迅速に開始されていたとしても、生きて救出される可能性はまずなかったといえるでしょう。

 

報告書を読んで、信じがたい会社のずさんな管理体制によって生じていた様々な問題が、重なり合ってしまったことで起きた不幸な「人災」であったことを、改めて痛感させられました。

報告書では、同業他社を含めた業界に共通する問題点も指摘されていますが、事故後、同業者で構成する「知床小型観光船協議会」が、引き返すことを前提に出航し気象・海象の状況により引き返す運航を止めて運航基準に基づいて運航するなどの自主ルールを定めたことなど、関係者が講じた事故後の再発防止策についても触れられています。先に私が知床半島クルーズに乗船したときの、単独運航にならないようサポート船を付ける運用も、この自主ルールに基づくものだったようです。

こうした再発防止策が着実に実施され、また、知床に限らず、運航業者が安全意識をしっかり持って運航し続けていくことによって、再びこのような悲しい事故が起きることがないよう願わずにはいられません。