鷺の停車場

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映画「石岡タロー」

週末の午後、イオンシネマ守谷に行きました。


この映画館には、コロナ禍前の2019年秋に「ヴァイオレット・エヴァーガーデン 外伝―永遠と自動手記人形―」(2019年9月6日(金)公開)を観に来たことがありますが、それ以来の訪問なので、約4年ぶりとなります。


週末の15時すぎ、ロビーにはけっこうたくさんのお客さんがいました。


この日の上映スケジュール。この日は、既に上映が終わっていた回も含めて、27作品・29種類の上映が行われていました。


この日観るのは「石岡タロー」(10月20日(金)公開)。インドやイタリア、オランダのインディーズ系映画祭で最優秀長編作品賞などを受賞しているそうです。インディーズ映画とあって、公開当初の上映館は、このイオンシネマ守谷と、シネプレックスつくば、シネマサンシャイン土浦と、舞台となった石岡市のある茨城県内の3つの映画館だけというかなり小規模な公開。


廊下の壁には、タペストリーも飾られていました。


おすすめベスト1作品として紹介されていました。


簡単な作品紹介もありました。


上映は199+2席のスクリーン4。お客さんは10人ちょっと、予想していたより少なかったです。


茨城県石岡市の小学校で飼われ、石岡駅に17年間に通い続けたタローという実在の犬の物語を実写映画化した作品で、監督・脚本は石坂アツシ。

 

昭和39年、茨城県石岡市の小学校に保護された一匹の犬。
「タロー」と名付けられたその犬は、誰に教わる事なく、朝は校門で児童を出迎え、昼は一年生の教室を順番に回っていた。そんな賢い行動ですっかり学校の人気者になったタローだが、ある日から石岡駅までの2キロの道のりを往復する日課を始めるようになる。歩道橋を渡り、国道を歩き、踏切を渡り、石岡駅の待合室に入って座る。じっと改札口を見つめて、しばらくすると駅を離れて再び小学校に戻る。そんな行動を朝と夕方の1日2回、毎日続けた。タローは石岡駅周辺でも顔なじみとなり、待合室でも駅前の商店街でも多くの人にかわいがられた。タローの駅通いは17年も続いたが、タローが駅で誰を待っていたのかは誰も知らなかった。

 

・・・というあらすじ。

 

主な登場人物・キャストは、

  • 校長先生【山口 良一】:石岡市立東小学校の校長先生。

  • 中嶋恭子【寺田 藍月(幼稚園時代)/渡辺 美奈代(現在)】:タローの元の飼い主。コロと呼んで可愛がっていた。

  • 恭子の母【松木 里菜】:夫とともに電器店を切り盛りしている。

  • 恭子の父【山東 文発】:玉造町(当時)で電器店を営んでいる。

  • 恭子の姉【寺田 紫月】:恭子の3歳上の姉。

  • 用務員【菊池 均也】:東小学校で宿直室に住み込みで働いている用務員。
  • 用務員の娘(レイコ)【青木 日菜(子供時代)/山本 奏(現在)】:小学生時代に針金で首が傷ついたタローを見かけて保護し、宿直室の家で飼い始める。

  • 行商人【グレート義太夫】:石岡の幼稚園に通う恭子が乗った鹿島鉄道に乗り合わせた行商人。

  • 新聞記者【まいど 豊】:タローの話を取材して新聞記事にした記者。

  • 駅員【椙本 滋・泊 太貴】:鹿島鉄道石岡駅の駅員。

など。

 

テレビでもこれまで数度にわたって紹介されているエピソードだそうですが、私自身はそれらを見ておらず、初めてしみじみと観ました。

BGMがちょっとうるさく感じられてもったいない場面もありましたが、心にじんわりと沁みる、涙がこぼれる物語でした。フィクションであれば、こんなうまくできた話はないと感じたのだろうと思うほど、感動的なお話でした。劇的な展開はなく、淡々とタローの姿を描いているところは、かえってタローの一途な思いが感じられて良かったと思います。感涙でボロ泣きしているお客さんも1人ならずいらっしゃいました。

なお、エンドロールでは、タローが亡くなって、東小学校では全校児童でお別れの会が開かれたこと、2015年に石岡駅前にタローのブロンズ像が作られたことが紹介されていました。

 

ネタバレになりますが、備忘を兼ねて、より詳しくあらすじを記すと、次のような感じです。

 

1964年、玉造町で電器店を営む夫婦の次女で、石岡の幼稚園に通う恭子は、可愛がっている愛犬のコロを連れて鹿島鉄道の玉造町駅に行き、コロは恭子と一緒に列車に乗り込み、頭を撫でられると列車を下りて自宅へ帰っていき、夕方は玉造町駅まで帰ってくる恭子を迎えに行くのが日課だった。

そんなある日、恭子と一度列車に乗って下りようとしたコロは、行商人の荷物に塞がれて列車を下りることができず、そのまま終点の石岡駅まで行ってしまう。石岡駅でコロと列車を下りた恭子だったが、駅員に声を掛けられて、自分の犬だと言い出すことができず、コロは駅員たちに追い払われてしまう。

落ち込む恭子は熱を出してしまうが、親にコロのことを言い出すことができない。数日が経って、恭子は涙ながらにコロが石岡駅で行方不明になってしまったことを打ち明ける。父親が仕事の合間に石岡駅付近を探したものの、コロは見つからなかった。

そのころ、東小学校の宿直室で住み込みで働いている用務員の娘が、首に針金を巻きつけられて傷ついている犬を連れて帰ってくる。用務員はその針金を取ってやると、娘はその犬を飼いたいと父にお願いし、用務員は学校の許しも得て犬を自分たちが暮らす宿直室で飼い始める。

2年が経ち、「タロー」と名付けられたその犬は、朝は校門の前で登校してくる小学生たちを出迎え、昼間は1年生の教室を1組から順番に回り、昼休みには校庭で児童たちに可愛がられ、夜は用務員が学校内を見回るのに付いていく、そんな日々を送るようになった。

そんなタローは、ある日から石岡駅までの2キロの道のりを往復する日課を始めるようになる。歩道橋を渡り、国道を歩き、踏切を渡り、鹿島鉄道石岡駅の待合室に入って座り、じっと改札口を見つめて、しばらくすると駅を離れて再び小学校に戻る。そんな行動を朝と夕方の1日2回毎日続け、タローは石岡駅周辺でも顔なじみとなっていく。

学校でも人気者となっていたタローだったが、授業参観に来た保護者からクレームの電話が入り、校長は大きな問題となる前に手を打たなければと考え、保健所にタローを引き取ってもらうことにする。一週間たっても引き取り手が現れなければ殺処分になると聞かされ、用務員は忸怩たる思いで一週間の日々を送る。一方、保健所送りを決断した校長だったが、タローを探す児童たちや、タローを懐かしむ卒業生などを目にする中で、思いが変化していく。

殺処分となる日、家に帰ってきた娘は、保健所に捕らえられてしまったかもしれないと言い、翌日、石岡保健所に電話する。すると、タローは土浦保健所に移送され、殺処分が翌日まで延びたことがわかる。2人は土浦保健所に駆けつけ、タローを引き取って帰り、用務員は再び飼う許しを得ようと校長に頭を下げると、校長は温かくそれを受け入れ、タローは再び東小学校で暮らすことになる。

毎日石岡駅通いを続けるタローは、駅前の商店街でも多くの人に可愛がられ、待合室でも降りてくる乗客からも手を振られるなど、愛される存在になっていったが、タローが駅で誰を待っていたのかは誰も知らなかった。

そして、東小学校に暮らすようになって17年となった1981年、用務員が朝起きてみると、タローがいつもの寝床で冷たくなっていた。用務員は東京で勤めていた娘に電話し、それを伝える。

タローが亡くなってから26年が経った2007年、石岡市役所に取材にやってきた新聞記者は、石岡駅にまつわるエピソードがないか職員に尋ねる。対応した職員は、30年くらい前に石岡駅に毎日通っていた犬がいたことを話し、新聞記者はその話に食いつく。職員は、詳しいことは分からないと言うが、当時の校長先生は存命ではと言い紹介してくれる。新聞記者は元校長先生の自宅を訪れて話を聞き、タローの話を記事にする。

玉造町の中嶋家。新聞を読んでいた父親はその新聞記者が書いたタローの記事を見つけ、恭子を読んでその記事を見せる。その犬はかつて飼っていたコロではないかと思った恭子は自分が飼い主だったことを新聞記者に名乗り出る。

そして、恭子は石岡駅前で新聞記者や元校長先生と会う。そこには、タローを飼っていた元用務員の父娘やタローを可愛がっていた商店街の人たちなども集まり、タローの思い出話を聞かせる。その様子を見る恭子は、コロがいなくなった日から心の奥底に抱えていた思いが溶けていくのだった。

(ここまで)

 

映画を観て興味を抱いて、このタローについての物語をまとめた、今泉文彦著「あした会えるさ 忠犬タロー物語」(2012年1月・茨城新聞社)も読んでみました。


既に絶版になっているようで新刊の購入はもはや難しいですが、近くの図書館に蔵書がありました。なお、表紙の犬は、実際のタローの写真で、写真嫌いだったタローの唯一残る写真なのだそうです。

著者のあとがきによれば、元飼い主の女の子が通っていた幼稚園の園長を(女の子が卒園した後に)務めた方で、園児名簿の中に元飼い主の女の子の名前を見つけて、歴代の東小学校の校長、用務員さん、元飼い主の女性など、当時の知る関係者に会うなど取材を重ねて記された本。

本は、次のような構成になっています。

  • プロローグ タローは誰を待つ

  • 第1章 小学生に囲まれて

  • 第2章 駅前のアイドル

  • 第3章 奇跡の再会

  • 第4章 コロとこっこちゃん

  • エピローグ あした会えるさ

巻末には、タローが暮らしていた頃の石岡駅付近や東小学校などの写真を紹介する「タローが暮らしたまち」、元飼い主の女の子が通っていた幼稚園で制作された紙芝居「コロとこっこちゃん」が収められています。

読んでみると、映画で描かれたエピソードが、ほとんど脚色なく描かれていたことがわかりました。元のコロの飼い主だった家が電器店ではなく陶器店だったこと、用務員さんは後に学校の外に家を買って通いとなり、晩年のタローはその自宅から学校に通い、そこから石岡駅まで通っていたことなど、本筋にはほとんど影響しない細部の設定変更はありましたが、元飼い主の少女が鹿島鉄道で玉造町駅から石岡駅まで通っていたこと、コロが行商人の荷物に邪魔されて列車を下りられなくなったために石岡まで行く羽目に陥ったこと、タローが保護された時に針金で首を怪我していたこと、保護者からのクレームで保健所に送られ、土浦保健所に移されたことで殺処分が延期され一命を取りとめたこと、タローが静かに亡くなっていたことを翌朝用務員さんが発見したこと、タローが亡くなった後に新聞記者が石岡市役所に取材したことがきっかけでタローの記事が新聞に掲載され、元飼い主の父親がその新聞記事を読んだことで元飼い主が名乗りを上げたことなど、かなり細部のエピソードまで、忠実に踏襲されていました。

 

先に書いたように、茨城県南部の3館のみで始まった劇場公開ですが、公開翌週の10月27日(金)からは同じ茨城県内のユナイテッド・シネマ水戸でも上映が始まり、11月3日(金)からは千葉県のシネマサンシャイン ユーカリが丘で、11月17日(金)からは静岡県シネマサンシャイン沼津で上映されることが決まったそうです。いい映画なので、もっと上映館が広がって、多くの人の目に触れる映画になればいいなと思います。