鷺の停車場

映画、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いていきます

映画「聲の形」

しばらく前になりますが、アニメ映画「聲の形」をBlu-rayを借りて観ました。  

f:id:Reiherbahnhof:20180515001725j:plain

けいおん」シリーズなどの山田尚子監督、京都アニメーション制作。この時はまだ他の山田監督作品を観たことはなかったのですが(以前書いたリズと青い鳥」を観たのはその後なのでした)、2016年公開のアニメ映画で「君の名は。」、「この世界の片隅に」と並んで評価のとても高かった作品。いずれは観ようと思いつつ、その頃には劇場上映はほとんど終了し、家で観るには内容が重そうで、決心がなかなかつかず、ようやく鑑賞。

大まかなあらすじです。

小学生時代。石田将也のクラスにある日、耳が聞こえない西宮硝子が転校してくる。

最初はクラスメートと交流を深めていくが、次第に孤立していく硝子を、将也は興味本位でからかい始めるが、それが問題化したことで、今度は、将也がいじめの標的となる。そんな中、将也は落書きされた自らの机を懸命に拭く硝子を見かけるが、何をしているのか理解できず、取っ組み合いの喧嘩をしてしまう。その後、硝子は別の学校に転校していく。

5年後、高校生の将也は、友人を一人も作ることもなく、ただひたすら孤独に過ごしている。罪の意識から逃れられず、自殺を決意した将也は、身辺整理をし、死ぬ前にきちんと謝罪するため、硝子が通う手話サークルを訪れるが、硝子と再会を果たした将也は、思わず「友達になってほしい」と伝える。

硝子の妹の結弦や、クラスメートの永束と仲良くなり、小学生時代のクラスメートとも再び交流が始まる中で、将也の生活、また硝子やクラスメートの気持ちも、揺れ動きながらも、次第に変化していき、大きなアクシデントを経て、2人はともに前向きに生きることを決意する。(ここまで) 

実際に観てみると、観る前に心配していたように重たさに押し潰されることはなく、最後まで観ることができました。

主人公の将也、また硝子も、過去の経験から、自責感を抱いて自らを閉ざし、現実を正面から受け止めることができません。それまでの人生経験の中で築かれた精神的な防御姿勢ですから、そうそう簡単に変えられるようなものではないのですが、2人は、昔・今のクラスメートたちと交流する中で、お互い、そして自分と向き合い、それを変えようともがき、途中では様々な出来事が起こりますが、最後には乗り越えていきます。そうした経過の中で、クラスメートたちもそれぞれ自分と向き合い、少しずつ変わっていきます。
大人になり、歳を重ねていくと、頭では理解していても、正面からそれに向き合って、自らを変えていく勇気を持って、努力していくことは、かなり困難だと思います。そこに向き合っていける、純粋にエネルギーを注いでいけるのは、この年代だからできることであり、だからこそ、大人になってこういう映画を観ると、かつては自分もそうだった(かもしれない)青春時代に想いを馳せて、心を動かされるのだろうと思います。

ネットを見ると、「感動ポルノ」との批判もありますし、聴覚障害者である硝子が萌え系の可愛いビジュアルなのも、議論もあるようです。原作のマンガがそうなのかもしれませんが、そもそも主要人物で不細工系な顔は将也の姉の夫娘と友人の永束くんくらいしかいません。硝子が永束くんのような顔立ちだとすれば、かなり印象・感想は違ってくるはずで、観客が感情移入しやすくなっていることは確か。

ただ、上に書いたようなことが物語の中核で、いじめや聴覚障害は、極端に言えば、自分を閉ざすことに説得力を与えるための舞台設定のひとつに過ぎないと感じました。自責感を抱く境遇に至った硝子や将也が立ち直るストーリーは、そういう境遇と全く無縁の人(私は違いますが…)が見れば、自分より下にいる不幸な人の物語として安心して感動できるということであれば、感動ポルノ「的」要素があることは否定できないと思いますが、いずれにしても、障害者であることが作品の本質だとは思いません。

この作品を観てどう感じるかは人それぞれだと思いますが、考えさせられる作品でした。