鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」

先日、キネマ旬報シアターに行きました。

f:id:Reiherbahnhof:20180301230423j:plain
この日のラインアップはこんな感じ。

f:id:Reiherbahnhof:20180301230455j:plain
観たのは「夜空はいつでも最高密度の青色だ」(2017年5月27日(土)公開)。

f:id:Reiherbahnhof:20180301230518j:plain

2017年のキネマ旬報ベストテンで日本映画のベストワンを獲得したということで、キネマ旬報シアターで3/2まで2週間の上映が行われていました。

石井裕也監督が最果タヒの同タイトルの詩集を基に、東京で生きづらさを抱えながら生活する慎二と美香が偶然出逢い、次第に関係を深めていくラブストーリーとして映画化した作品。劇中では、原作の詩集の一節(と思われるフレーズ)が主人公の声によって語られます。

f:id:Reiherbahnhof:20180303033505j:plain
入ったのは148席のスクリーン2。平日夜の最終上映回でしたが、観客は10人ほど。周りを気にせずゆったり観れるのはありがたいですが、ちょっと寂しい入り。

夜の東京の景色は、刹那的で救いの見えないどんよりとした雰囲気に映ります。その中で、歩きながら、バスを待ちながら、スマホをいじる群衆が風刺的に描かれます。東京の今をリアルに写したようでありながら、このスマホの群衆だけは戯画的にデフォルメされています(私自身は違和感がありましたが…)。

2人の生活には、多くの人が普通に暮らしているよりも、死が色濃く漂っています。美香が昼間看護婦として勤める病院ではしばしば患者が亡くなり、慎二が日雇いで働く建設現場では仲間の智之が突然倒れて命を落とし、本を貸してもらうなど交流のあった老人は熱中症で亡くなり、腰を痛めて仕事が十分にこなせず日雇いの仕事を辞めていく岩下にも、その後の死の予感が漂います。

そうした世界の中で、慎二は左目の視力をほとんど失っていること、美香は子どものときに母が自分を残して自殺したことなどが、おそらく棘のように刺さっていて、生きづらさ、また自分が周囲とどこか違うことを感じながら、何とか社会につながっています。

その2人が、最初は居酒屋で、次に美香が夜に働いていたガールズバーで、そして東京の街中で偶然に出逢います。互いに自分と近い部分があることを直感した2人は、少しずつその距離を縮めていき、一緒に生きていくことを決意するところで、映画は終わります。

観て良かった。

うまく表現できませんが、今の時代の暗部も写しながら、どこか違和感を抱いて生きていても、ほのかに明るい希望、未来をつかむことはできる、というようなメッセージを感じました。

細かい部分では、うーむと思う部分はあります。前述のスマホ群衆もそうですし、何か気付いた場面で一々「えっ」と声を上げるのも、わざとらしい感じがして、映像だけで示すことができるはずなのにもったいないなぁと思いました。また、慎二が左目が見えないことを表すためにスクリーンの左半分を隠した画像が何度か出てきたり、世界の半分しか見ることができないという趣旨のセリフがあったりもしましたが、片目を塞いでみればすぐわかるように、視野が半分になるのではなく、見える世界は同じで遠近感が掴みにくくなるだけのはずです。

とはいえ、全体を通して観れば、そうした点は些細なことで、2人の内心の棘と、それが少しずつ寛解していく道のりを素直に受け止めることができる作品でした。

昨年5月に公開されたこの映画、ミニシアターなどでは上映が続いているものの、既ににBlu-rayやDVDも発売されていて、映画館で観るのはなかなか難しいかもしれませんが、DVDなどでも、観ておく価値のある作品だと思います。

余談になりますが、この映画、配給が東京テアトルで、前年のキネマ旬報ベストワンの「この世界の片隅に」と共通です(制作委員会に朝日新聞社が入っているのも共通しています)。どこの配給かが選考に影響したとは思いませんが、大衆向きというより、批評家・玄人向きの作品が選ばれやすいこの賞の特徴が表れている気がします。