鷺の停車場

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鴨志田一「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を読む

電撃文庫から出ているライトノベル青春ブタ野郎」シリーズ、第5巻に続いて、第6巻となる「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を読みました。

テレビアニメ版では第5巻までが描かれていたので、この第6巻はテレビアニメ化されていない部分ですが、劇場アニメ化されて、6月15日(土)に公開予定になっています。

まずは、ネタバレしない範囲で感想を。

タイトルから、もっとふわふわした、甘酸っぱいファンタジーを想像していたのですが、全然違って、1人の人間の命をめぐるシリアスな物語。第5巻「青春ブタ野郎はおるすばん妹の夢を見ない」も、「かえで」の人格が失われてしまうシリアスな展開でしたが、さらにシリアスさが増して、心に刺さる物語でした。

冒頭、第一章の前に、「風呂場から出ると、そこは修羅場だった。」と書かれた1ページ。書きぶりは違いますが、何となく、川端康成の小説『雪国』の有名な書き出し「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」のパロディに思えて、クスっとしてしまいました。確かに、その書き出しに続いて、ラブコメ風な「修羅場」の場面から始まるのですが、全体の展開は、先に書いたようにとてもシリアスなもの。
第1巻「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」から出てくる、かつて主人公の咲太を救い、咲太の初恋の人である年上の「翔子さん」をめぐる謎、第2巻「青春ブタ野郎はプチデビル後輩の夢を見ない」の最後から出てくる中学生の「翔子ちゃん」との関係、咲太の胸にできた3本の大きな傷の謎、といった、前巻までに伏線として埋め込まれていた謎が次々と明らかとなって、緊張度を高めていき、重い最後に至る展開に引き込まれました。麻衣がむき出しの感情を咲太にぶつける場面など、気付いたら涙していたシーンもあり、強烈な余韻が残りました。
ただ、その最後は、完結感の全くない中間的なもの。第5巻までは各巻にあった「終章」も、末尾の「あとがき」もありません。最初に読んだときには気付かなかったのですが、繰り返し読み返してみたら、最後にちゃんと「つづく」と書いてありました。ということで、1巻完結ではなく、次の第7巻「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」に続きます。すぐ次巻も読みたくなりました。

劇場版「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」の本予告が公式サイトにアップされていますが、原作(の前半)となる本巻を読んだ後だと、かなりの部分はどの場面のカットだか分かってしまって、予告編を見ただけで涙が出てしまいます。

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以下は、各章ごとの詳しめのあらすじです。当然ながら思い切りネタバレなので、小説を読む/劇場版アニメを観るまでは知りたくないという方はパスしてください。

 

 

 

第一章 少女が描いた夢のカタチ

1.12月最初の日、月曜日の夜、妹の花楓の記憶が戻った4日前から年上の翔子さんが居候している咲太のマンションに、咲太の彼女で主演映画の撮影で金沢ロケ中の麻衣が突然訪れ、2人で暮らしているのがバレて、咲太は人生最大の窮地に直面する。麻衣の追及にも「わたし、咲太君のこと好きですから」など空気を読まない挑発的な発言をする翔子。その場の雰囲気に耐え切れない咲太は、助けを求めて友人の理央を呼び出す。
 理央がやってきたところで、咲太は翔子さんの正体を尋ねると、翔子は「実はわたし……時々、大きくなるんです」と真顔で言う。中学1年生の翔子ちゃんが抱えている中学校を卒業するまで生きていられるかどうかも分からない心臓の重い病気、そうした状況が思春期症候群の発症につながっていたのだろう。「ここにいるわたしは、高校生にも、大学生にも、大人にもなれないと思いながら生きている小さなわたしが思い描いた夢の姿なんだと思います」と言うのだった。
 翌日翔子ちゃんの病院に行くことにした咲太は、麻衣に弁解したいと自分のマンションに戻ろうとする麻衣を追うが、麻衣は、拒絶する。

2.翌朝、麻衣はメモを残して早朝に金沢に帰っていった。放課後、咲太は理央を連れて病院に向かうが、その電車の中で理央は、咲太はたぶん勘違いしている、女心がわかってない、と言う。「勘違い」の意味がわからないまま、翔子ちゃんの病室を訪ねる咲太。
 時々でいいので、また会いに来てほしい、と言う翔子ちゃんに、面倒だから毎日来るよ、バイトのときは厳しいかもしれないけど、と返す咲太。そこに翔子ちゃんは「将来スケジュール」と書かれた1枚のプリントを見せる。小学4年生のとき授業でやったもので、書きたいことはたくさんあったが、将来の話をすると、翔子の命が長くないことを知っている周りの大人を困らせてしまうので書けなかったのだ、しかし、いつの間にか、自分が書いていないのに「中学校の卒業」「海の見える高校に入学」「運命の男の子との出会い」「元気に高校を卒業!」と書き加えられていたと話す。その筆跡は翔子ちゃんのものと同一だった。
 病室を出た咲太と理央はその謎について話す。常識的には翔子ちゃんが自分で書いたのを忘れるということだが、翔子さんの仕業かもしれない、翔子さんは、翔子ちゃんが書けなかった将来のスケジュールを実行するために現れたのだろう、「運命の男の子との出会い」とは、2年前に咲太が翔子さんと会ったときの話じゃないの、と理央は語る。

3.その後、咲太は、同じ病院に入院する花楓を見舞い、バイト先に寄ってから自宅に向かう途中で、待ち伏せしていた麻衣の異母妹の豊浜のどかに出会う。のどかに、12月2日が麻衣の誕生日だったから、麻衣は撮影の合間をぬって帰ってきた、麻衣はロケ中も咲太やかえでのことを心配していた、それなのに、なんで咲太は他の女に慰められて元気になってるんだ、ふざけんな!と一喝された咲太は、最終の新幹線で金沢に向かう。

4.咲太が金沢駅を降り立つと、雪が舞い、うっすらと積もっていた。のどかが聞き出した撮影場所に向かった咲太は麻衣を見つけられないが、麻衣に見つけてもらい会うことができる。麻衣が乗るミニバンに同乗した咲太は、日付が変わる直前に、誕生日おめでとう、と言うことができ、しょんぼりしている麻衣を心配するマネージャーの花輪涼子の気遣いで15分だけデートの時間をもらう。
 私が側にいてあげなきゃいけなかったのに、咲太に誰かの支えが必要だったのはわかってる、それが私じゃなかったのが、ちょっとショックだったみたい、と言う麻衣に咲太は、麻衣さんは、いるだけで僕を幸せな気持ちにしてくれる、それってすごいこと、僕も麻衣さんのそういう存在になりたい、と言うのだった。心通わせる2人。普段通りの表情に戻った麻衣は、翔子さんの問題が解決するまで、私も咲太の家に泊まる、と言うのだった。

第二章 彼女の将来スケジュール

1.翌日、金沢から戻った咲太は、翔子ちゃんの病室を訪れ、金沢のお土産を渡す。昨年のクリスマスに行った江ノ島のイルミネーションにまた行けたらいいな、クリスマスの日じゃなくていいので、みんなで行きませんか、と言う翔子に、退院したらそのお祝いに行こうと約束する。「将来スケジュール」のプリントには、「大学に入学」「運命の男の子と再会」「思い切って告白!」と3行が追加されていた。
 その後、咲太は、退院する花楓を迎えに行き、翔子さんと麻衣が家に泊まることを伝える。病室を出ようとすると「ごめん」と言う花楓。この2年間、それに至るまでの全部を含めて込められた想いだった。全部自分のせい、と言う花楓に咲太は、そんなわけあるか、花楓も一生懸命だったんだからいいんだよ、と言葉を掛けるのだった。

2.翌朝、翔子さんと麻衣に自分の部屋を譲り、コタツで寝た咲太が麻衣に起こされると、体がだるく、熱があった。ふらふらしながら自分の部屋に行き、朝まで麻衣が寝ていたベッドに潜り込んで眠りに落ちる咲太。
 再び目が覚めると、午後1時すぎに再び目が覚めた咲太は、翔子と花楓で猫のなすのを風呂に入れた、以前咲太君がお風呂の入れ方を教えてくれた、と話す翔子さんに、風呂の入れ方を教えたのは小さい翔子ちゃんだったと思った咲太は、2年前に会ったことを覚えているか聞くと、やはり覚えていた。「あのときは本当にありがと、僕は翔子さんに救われたんです」と言って再び眠りに落ちる咲太に「救われたのは、わたしの方なんだよ、咲太君」と翔子さんの声が聞こえた。
 咲太が次に目を覚ますと、もう暗くなっていた。咲太のシャツを着替えさせる麻衣は、胸の傷に血が滲んでいるのに気付くのだった。

3.12月5日、2日学校を休んで咲太は登校する。週末、咲太は期末試験に向けて麻衣やのどかに勉強を教えてもらうが、翔子さんも高校生の問題をすらすら解くのだった。
 翌週、期末試験を終えた咲太は、2日前に理央と翔子ちゃんの見舞いに行った友人の佑真から、咲太はやれることを全部やってる、翔子ちゃんはずっと咲太の話をしてた、咲太は翔子ちゃんにいっぱいあげているだろう、と言われる。2年間に翔子さんに言われた「わたしはね、咲太君、人生って、やさしくなるためにあるんだと思っています」という言葉を思い出し、あの頃の翔子さんと同い年になったが、あのときの翔子と同じことが自分にできるとは思えない、と感じる。
 そこに、翔子さんから理央のスマホに電話がかかってくる。翔子は急に咲太をデートに誘う。一度は断る咲太だったが、翔子の強引な誘いに、待ち合わせ場所に向かうことになる。理央は、翔子さんが、翔子ちゃんが夢見た未来の自分だとしたら、空白の6,7年間の記憶どうなっているのか、空っぽだとしたら、それはそれでそういう態度になるはず、と語る。そして、馬鹿げた妄想だと思うが、ひとつだけ可能性を考えた、これが本当なら、翔子さんはとんでもない隠し事をしていることになる、と言い、その可能性の話を始めた。「彼女は―—」

4.理央の話を聞いた咲太は、翔子との待ち合わせ場所に向かう。翔子は電車で逗子駅まで行き、さらにバスに乗って、咲太を森戸海岸のリゾートホテルでの結婚式場の無料見学会に連れてくる。小さな翔子が書けないでいる将来スケジュールの項目には結婚もあった。雰囲気だけでも、と連れてきたのだろうと思う咲太。
 ウェディングドレスの試着は尻込みする翔子だったが、咲太は強引に試着させる。チャペルでその美しい姿にびびる咲太だったが、ドレスの胸元に手術痕を見つける。式場スタッフがいなくなって「翔子さんは、未来から来たんですね」と咲太が言うと、翔子はやさしく微笑むのだった。

第三章 牧之原翔子

1.翔子さんからデートの誘いを受けた後、咲太は理央から小さな翔子が起こしている思春期症候群について見解を打ち明けられていた。
 彼女は未来から来たのかもしれない、正しくは、未来にたどり着いた姿と表現した方がいいかもしれないけど、と語る理央。大人になることを望む翔子ちゃんと、大人になることを拒んだ翔子ちゃん、その後者、不安の正体が翔子さんなんだと思う、自分の時計の針を必死に止めようとした結果、彼女の見る世界が本当にゆっくりになった、その世界のことを私たちの世界から見た場合、時間が早く進む、その分だけ、私たちより先に未来にたどり着いたのだ、本当に未来から来たのなら、翔子さんの胸には手術痕があるはず、と言うのだった。

2.結婚式場の見学を終えた2人は、森戸海岸でその話をする。理央の見解を認める翔子。咲太は移植手術を受けられたことにほっとして、目頭が熱くなり、力が抜けてしゃがみ込む。
 クリスマスが終わる頃には病気のことも思春期症候群のことも解決する、わたしが咲太君と一緒に過ごせるのはクリスマスまで、わたしは咲太君に恋していた、小さなわたしの初恋は誰にも言えないままこの胸に残っている、最後の思い出にクリスマスイブの夜、わたしと江の島のイルミネーションに行ってほしい、と言う翔子。いろいろな予定を心配する咲太だったが、翔子は、花楓が前日から祖父母の家に行くこと、麻衣も夕方以降はオフになると言う。
 その日の夜、父親から電話があり、本当に花楓は祖父母の家に泊まりに行くことになり、翔子の予言の的中に、さらに咲太は確信を深める。

3.デートの翌日、12月13日の土曜日の夜、咲太は三学期初日からの登校を目標に準備を進める花楓に美容室に髪を切りに行くことを勧める。
 そこに撮影を終えた麻衣から電話が入り、咲太は藤沢駅に麻衣を迎えに行く。翔子さんとの間に何かあったかと聞く麻衣に、咲太は結婚式場に行ったことを話す。「咲太にとって、翔子さんとは何?」とさらに急所を突く質問をする麻衣。初恋の人、と答える咲太だったが、2年前に翔子さんがしてくれたこと、それらは全部、咲太が花楓にしてあげたかった、でもできなかったこと、だから咲太は翔子のようになりたいと憧れた、それが自分の気持ちの正体なのだと、翔子と再会して自覚したのだった。
 そんな咲太に、麻衣は24日に江の島のイルミネーションでのデートに誘う。翔子が誘ったのと同じ場所だったのに驚いた咲太は、場所を水族館に変える。

4.翌日、12月14日、咲太はバイト先で一緒になった古賀朋絵に「なんかいいことあった?」と聞かれ、変化によく気付く朋絵を鋭いと思う一方、そう見えていることを歓迎する気持ちになった。
 バイト後に翔子ちゃんを見舞いに行くと、点滴台を押して翔子が病室に迎い入れる様子に、あまりよくないのだろうと思う咲太。あのプリントには「クリスマスイブに大事なデートの約束をする」と加えられていた。翔子は、わたしの病気、よくないんです、だから、もう見舞いには来ないでください、と晴れやかな笑顔で言う。自分がいなくなった後の咲太を想ってのその言葉に、咲太は、「やだよ」と答え、「でも、わたしは…」とわなわな震え出した翔子の頭に手を乗せ、牧之原さんはよくがんばった、毎日毎日、誰よりもがんばってきた、だから、もうがんばらなくていいんだよ、と語りかけると、翔子は「わたしだって、ほんとは病気になんてなりたくなかった、わたしだって、生きたいんです…」と泣きじゃくる。
 翔子が泣き止んで落ち着き、別れようとしたその瞬間、翔子はベッドに倒れて苦しみ出し、ICUに運ばれてしまう。胸の傷が痛み、血がにじみ出したことに、傷の正体は、花楓やかえでも関係ない、別の可能性に気付くが、そのまま意識は遠のいてしまう。

5.咲太は夢の中で、2年前の翔子との思い出を回想する。胸の傷を気にする咲太に、だいじょうぶだよ、必ず治ります、咲太君の心の傷も、その胸の傷も……わたしが治してあげるから、と翔子さんは言ったのだが、翔子の真意は分からなかった。
 目を覚ますと、そばには大きな翔子さんがいた。思えば、いつも傷ができてすぐに、咲太は翔子さんと出会っていた。それ以外の答えはないと確信した咲太は、「翔子さんの胸には、僕の心臓があるんですね」と尋ねる。「わたしは、咲太君に未来をもらったんです」と翔子が語ると、病室の入口で聞いていた麻衣が「今の、どういうこと?」と問いかけるのだった。

第四章 ふたつの道

1.ベッドの脇までやってきた麻衣に、翔子は、12月24日、麻衣とのデートの待ち合わせ場所に向かう途中の咲太がスリップした車に轢かれ、脳死状態となり、咲太が臓器提供意思表示カードを持っていたことで、3日後の27日に移植手術を受けることができたのだと言う。ドナーが誰かは普通は分からないのに、咲太と電話がつながらないことで気付き、麻衣が教えてくれたのだと。そして、24日は家にいるように言うのだった。晴れやかに笑って病室を出ていく翔子の意味に、咲太は気付かない。
 麻衣と病院を出た咲太は、表面上は弾むような会話を交わすが、咲太の心は空白だった。「咲太には私との未来を選んでほしい。それが私からのお願い」と、じっと咲太を見据えたまま、表情を変えずに淡々とふたりの未来を語る麻衣。

2.それから4日経ち、運命の日まで1週間を切っても、実感らしい実感を持てない咲太は、普段通りの生活を送る。ICUに入っている翔子ちゃんの見舞いにも行くが、本人には会えず無人の病室を訪れる咲太。
 そんな放課後、佑真の彼女の上里沙希に呼び止められる。無意識にゴミ当番を3日間サボっていたのを指摘され今日は1人でやるよう言われる。文句を言わず掃除を始める咲太に何か違いを感じ取ったのか、沙希も掃除を手伝う。この先の運命を知った矢先に苦手だった沙希の新たな一面に気付いたことをどこかおかしく思う咲太だった。
 掃除を終えた咲太は、気まぐれで体育館に向かいバスケ部の練習をしている佑真と話をする。次があるか分からないという想いが、咲太をそうさせていた。自分が気付かないうちに4日間のうちに、どちらを取るかの感情の天秤は傾いていたのだ。
 駅に向かう途中、咲太は理央に話しかけられる。最近咲太が自分を避けているから気になって、と言う理央。咲太は、既に色々な事情を知っている理央を意識的に避けていたのだ。ふたつ同時に存在してはいけない咲太の心臓がふたつあるから胸に傷ができているんじゃないの、と見事に言い当てる理央。咲太が観念して事故に遭うことなど本当のことを話すと、いつも理性的な理央が、桜島先輩とはちゃんと話した方がいいよ、と指摘した後、「私は…嫌だ」と感情だけの言葉を呟き、涙ぐむのだった。

3.理央の指摘で、麻衣ときちんと向き合おうとする咲太だったが、話をするタイミングをなかなかつかめない。翌週の日曜、花楓のイメチェンのため、午後2時に藤沢駅で待ち合わせ、花楓、のどかとともに4人で、麻衣がお世話になっているヘアメイクさんが独立した茅ヶ崎の美容室に向かう。店長と麻衣、花楓が話している間、のどかは咲太に、咲太は本当に幸せ、お姉ちゃんが彼氏に見せる服で悩んだりしないと思ってた、と話し、お姉ちゃんを泣かせるようなことをしたら・・・、と睨む。それを誓うことはできない、約束を破ることになってしまう、と思う咲太。
 美容室が終わり、茅ヶ崎駅に戻ったところで、麻衣はのどかに、咲太と約束がある、と花楓を送ってもらうようお願いする。約束はなかったが、麻衣との時間を作ろうと話を合わせる咲太。2人きりになると、麻衣は咲太を東海道線の下りホームに連れていく。来た熱海行きの電車に乗る2人。半年前、麻衣が思春期症候群だったときに2人で乗ったのも下りの東海道線だった。車中で思い出話をする咲太。

4.午後6時過ぎに到着した熱海駅のホームで、時刻表を見ながら、一番遠くまで行ける電車ってどれ?と聞く麻衣。どこまで行く気?と咲太が尋ねると、ずっと遠く、このまま電車に乗り続けて、あの日より遠くに行くの、ずっとふたりで遠くに・・・と言う麻衣。すげえ楽しそう、でも、冗談だよね、麻衣さん、と返す咲太に麻衣は、激しく震えて、咲太の方こそ冗談はやめて、私はそんな言葉聞きたくない、思い出話だって聞きたくない、私は咲太と未来の話をしていたい、勝手に諦めないで、ひとりで決めないでよ・・・とむき出しの感情で咲太を突き刺す。
 自分が生きるということは、大きな翔子が受けたはずの心臓移植手術が存在しなくなるということ、翔子さんがくれたものをきちんと返したい、と思う咲太は、僕もちゃんとしたいときはあるんですよ、国見や双葉がいたから今日までやってこれた、かえでや花楓にもかっこ悪いところは見せられない、何度も助けてくれた翔子さんにも、僕を好きになってくれた人をがっかりさせるような人間にはなりたくない、麻衣さんのお願いは何でも聞くけど、今はひとつだけ聞けないことがある、と麻衣に告げる。そんなの聞きたくない、お願いだから、ずっと側にいて、とか細い声で呟く麻衣。
 咲太が生きててくれるなら、嫌われてもいい!と溢れる思いをぶつける麻衣。無理だよ、麻衣さんを嫌いになれるわけない、と咲太が言うと麻衣は、嘘つきは私だ、咲太に嫌われたくない・・・と感情に呑み込まれて号泣する。

5.熱海から藤沢に引き返す2人に会話はなかった。何か声をかければ、戻れなくなる、だから、言うわけにはいかない、と気持ちを抑え込む咲太。午後11時を過ぎて藤沢駅に戻り、家に帰ると、翔子さんがいつも通りの笑顔で出迎える。
 咲太は、翔子の言葉に促されるように、麻衣さんをあんな風に泣かせたくなかった、だから僕は生きたい、ごめん、翔子さん、僕は麻衣さんとずっと一緒にいたい、と体を震わせると、翔子は、謝るのはわたしの方、こんなに辛い選択をさせてごめん、わたしがもっと上手にやってたら、咲太君を苦しめることはなかったのに、咲太君はよくがんばりました、だから、麻衣さんを幸せにするんですよ、とやさしく言葉を掛ける。咲太は感情を抑えることができず号泣する。

第五章 白い雪を染め上げて

1.翔子が語った未来に追いつくまで残されたのは2日、小さな翔子を助けてあげてください、と強く願いを繰り返す咲太だったが、運命の日の朝がやってきた。
 今日で咲太君との同棲生活も終わりですね、と言う翔子に、僕は翔子さんみたいになりたかった、2年前、僕をどん底から救ってくれた翔子さんくらいやさしくなりたかった、と咲太は話すと、翔子は、なれますよ、咲太君は、と言う。そして咲太が出掛ける時、翔子さん・・・と言いかけた咲太に、その一瞬の躊躇いを見透かしてそっと背中を押すように、にっこり微笑んで、いってらっしゃい、とだけ翔子は声を掛ける。咲太は、いってきます、と口にして、いつも通り自然に玄関を出た。

2.午後から強烈な寒気が流れ込み、夕方にかけて雪が降り出す、という予報の下、終業式の後、藤沢駅に戻った咲太は、家とは別の方向に歩き出す。

3.咲太が寄り道したのは、小さな翔子が入院している病院。翔子はICUに入っていて、人の気配は残っているのに、体温は消えてしまっている翔子の病室で、咲太は、翔子が本当に危険な状態になるまで自らの不安を隠し続けていたから、小さな体でずっとがんばってくれたから、咲太は大事なものが失われるのは突然だということを気が付かずにいられたのだと思う。
 また来るよ、と無人のベッドに告げて、病室を出た咲太は、出会った花楓がお世話になっていたナースのお姉さんに、翔子ちゃんのお母さんが会わせてあげたいと言ってくれている、と伝えられる。ICUでガラス越しに翔子を見る咲太は、がんばって生きようとしている翔子の姿を目に焼き付けようとする。感情が溢れ出そうとするのを堪える咲太。
 面会が許された5分が経過し、一般病棟に戻った咲太は、気が付くと3時間以上考え事をしていた。公衆電話から麻衣のスマホに電話をする咲太。昨日、咲太と初詣に行く夢を見た、私は咲太のことを忘れてなんてあげない、私は咲太と生きていく、と言う麻衣に、咲太は何か言おうとしたが、小銭が切れて電話は突然切れてしまう。
 翔子には救われてほしい、麻衣を泣かせたくない、ふたつある願いのどちらに決めるか答えが出ない咲太は、その瞬間が近付くほどに、余計なものは削ぎ落されて本心は明らかになると信じて、咲太は歩き出す。

4.咲太は麻衣を約束した待ち合わせ場所の江ノ島に向かう。そこで、咲太は、翔子が一方的に待ち合わせの約束をしたのは、そうすれば、咲太は絶対にそこにはやってこない、咲太が麻衣を選んで自分を振ってくれると信じていたからだ、と気付く。いってらっしゃい、と笑顔で送り出した翔子、隠そうとしていたはずの翔子の想いが溢れ出していた。
 どうかしてんだよ、翔子さんは・・・と咲太は考えるより先に体が動いていた。全力で翔子が指定した待ち合わせ場所に走る咲太。その直前、歩道にいる咲太の後ろでひクラクションが響き、スリップした黒のミニバンが向かってくる。「咲太君!」と道路の向こう側にいる翔子が瞳を潤ませ悲鳴を上げる。ぶつかる、と自覚した瞬間、「咲太!」と聞き覚えのある声を聞くと、体がやわらかいものに突き飛ばされ、背中で鈍い音が聞こえる。
 アスファルトの上にうつ伏せに倒れていた咲太が気が付いて、ゆっくりと体を起こすと、ミニバンの脇に倒れていたのは麻衣だった・・・。(次巻につづく)

 

という流れで、次巻「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」に続きます。第4章あたりからの緊張度の高まりはすごくて、途中でやめることができず一気に読んでしまいました。心打つシーンはいろいろありますが、とりわけ、麻衣と咲太が電車で熱海まで行き、麻衣がいつもは決して見せない剥き出しの心情を露わにするシーンは刺さりました。