鷺の停車場

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小坂流加「生きてさえいれば」を読む

小坂流加さんの小説「生きてさえいれば」を読みました。

生きてさえいれば (文芸社文庫NEO)

生きてさえいれば (文芸社文庫NEO)

 

小坂流加さんは第3回講談社ティーンズハート大賞で期待賞を受賞された方だそうで、2007年6月に刊行された単行本「余命10年」を加筆修正して2017年に刊行された文庫本で注目されるようになったようですが、同年に39歳で亡くなられています。巻末に掲載されている「編集部による解説」によれば、本作は、小坂さんが亡くなられた後、ご家族の方が発見された未発表の原稿を文庫本化したもので、執筆時期などの詳細は不明だそうです。

叔母の春桜(はるか)をハルちゃんと呼んで慕っている小学生の千景(ちかげ)。重い心臓病で入院しているハルちゃんが宛先を書けず手元に置いている手紙が、大阪にいる羽田秋葉に宛てたものであることを知った千景は、一人で大阪に向かい、秋葉のもとを訪れる・・・という物語。

小坂さん自身、自らの命がそう長くないかもしれないことを、おそらく知ってor気付いていたのでしょう。本作の春桜の描写など、自身の心境、あるいはそうありたい/ありたかったという思いかもしれませんが、そうした思いや経験が反映されているのだろうと感じました。

小説全体としては、千景が主人公という構成ですが、大きな部分を占めるのは、秋葉による春桜との出会いから別れまでの回想なので、実質的には、秋葉が主人公の物語といえます。秋葉と春桜の恋物語を主軸にして、春桜と冬月の姉妹の関係、秋葉と夏芽の兄妹の関係が絡み合う展開は、よく構成されていると思います。悲劇的な出来事によって、二人は引き裂かれてしまうわけですが、それに代わるように、ともに一方が慕い、もう一方が煙たがっていた二組の姉妹・兄妹の関係は、より密接な結びつきとなっていきます。悲しい物語ではありますが、未来にほのかな希望を感じさせる終わり方も、個人的には良かったと思います。最近読んだ小説の中では、最も心に残りました。「余命10年」もいずれ読んでみようと思います。

 

物語の中心となる登場人物は、次の6人。ただし、千景は、現在部分の主人公であるものの、回想部分ではサブの登場人物にとどまっていますので、回想部分だけでいえば、冬月以下の5人が中心人物といっていいと思います。

  • 風間千景:小学6年生の男の子。叔母の春桜を慕っている。学校ではいじめられており、死も考える。秋葉の回想部分では5歳。
  • 風間冬月:春桜の10歳上の姉。父親似で、母親似でかわいい春桜とは全く似ておらず、春桜を煙たがっていた。千景にとっては獰猛なお母さん。
  • 牧村春桜:重い心臓病で入院している。回想部分では大学3年生で、ファッション雑誌の表紙を飾る人気モデルとして活躍し、男子学生の人気を集めていた。
  • 羽田秋葉:大阪の酒屋で働くかつての春桜の恋人。7年前の回想部分の主人公で、東京に出て大学に入学したばかりの18歳。
  • 羽田夏芽:秋葉の実父が蒸発した後、母親の再婚相手との間に生まれた父親違いの12歳下の妹。現在は中学2年生。
  • 兵頭理央:秋葉が働く酒屋の娘。秋葉とは2歳下の幼なじみで、ずっと秋葉に思いを寄せている。

そのほかの主な登場人物としては、

  • 風間茜:千景の2歳違いの妹。千景とは異なり、母親の冬月に似て、かわいくないが、肝は据わっている。
  • 神命(ジン):秋葉が大学で知り合って親友となった同級生で、秋葉に親身に接する。父親は厚生労働省の官僚。
  • リィ:かつて自分を助けてくれた春桜をリスペクトしている女性。現在はファッション雑誌のモデルをしているが、回想部分ではメイド喫茶で働いていた。
  • 藤井カヤ:春桜の古くからの友人で、回想部分では、春桜のボディーガードのように秋葉を警戒していた。現在部分にも意外なところで登場する。
  • 桐原麗奈:大学に入った秋葉が好きになった同級生。モデルを目指し、春桜と親しい秋葉に時折接触するが、秋葉に好意は持っていない。

というあたり。

 

ネタバレになりますが、あらすじというか、簡単な概略を紹介します。 

第1章 手紙

千景は、心臓病で入院している母親の妹ハルちゃんこと春桜が大好きだった。ある日、ハルちゃんが宛先を書けずに手元に置いている手紙が大阪にいる「羽田秋葉」に宛てたものであることを知った千景は、手紙を届けようと大阪に向かう。

秋葉が働く酒屋にたどり着いた千景は、口が悪く強引な秋葉の妹・夏芽によって、一晩泊まることになる。その夜、秋葉と二人で話す機会を得た千景が恋をしているか尋ねたのをきっかけに、秋葉は春桜との恋を回想する。

第2章 春夏秋冬

東京の大学に入った秋葉は、友人となったジンと、サークルの新歓コンパに参加する。秋葉は同じ1年生の桐原麗奈にひかれていたが、モデルとして活躍する有名人の3年生・牧村春桜が目当てのジンが、秋葉を連れて春桜が座るテーブルに行き自分たちを紹介すると、秋葉は春桜から、結婚しよ!と突然プロポーズされる。

それから、春桜は秋葉の教室やバイト先の図書館にやってきてつきまとうようになる。春桜を狙う男たちの妬みを集めることになり、麗奈が好きな秋葉は快く思わないが、春桜は、秋が欲しかった、私には冬月という姉がいる、秋葉には妹の夏芽がいる、春と冬を繋ぐのは夏と秋、と語る。

春桜の言葉を考える秋葉に、夏芽との思い出が頭をよぎる。自分を慕う夏芽を疎ましく思う秋葉は、お父さんが違うから自分と半分しか血が繋がってない、と告げていた。

あるトラブルがきっかけで春桜と会うことになった秋葉は、秋葉原メイド喫茶で、メイドとして働くリィから春桜に助けられたことを聞かされる。店を出た二人は、偶然に春桜の姉の冬月を見かけ、春桜は熱心に冬月に話しかけるが、冬月は冷たくあしらう。

第3章 六角ボルト

春桜は、冬月に再び会おうと秋葉を連れて神田の交差店に向かう。冬月に会えた二人がは三人で一緒に食事すると、秋葉は冬月から今度家に来なさいと誘われる。

秋葉は冬月に連絡をとって家に行き、5歳の千景、3歳の茜の兄妹と一緒に夕食を食べる。冬月から春桜の話を聞くうちに、秋葉は、春桜を煙たがる冬月にシンパシーを感じ、変な気分に陥る。

その後、秋葉は、茜を病院に連れていくために冬月が預けた千景を連れて秋葉の部屋を訪れた春桜と一緒に夕食を食べる。春と冬をつなげて、と秋葉にせがむ千景が疲れて寝入ってしまった後、春桜に、好きなのは冬月で自分ではない、名前のせいで錯覚している、と言う秋葉に、春桜はキスをする。衝動的に春桜にのしかかる秋葉に、春桜は涙を流し、帰っていく。

春桜は秋葉の前から姿を消すが、ある日、春桜からリィが働くメイド喫茶に呼び出され、秋葉は秋葉原に向かう。そこで春桜から本心を打ち明けられた秋葉は、打ちのめされ、春桜がまっとうな人間であることを知る。

第4章 ブラックホール

秋葉の春桜への思いは恋に変わっていた。トラブルで自分の部屋に住めなくなってしまった春桜を秋葉は自分の部屋に招き、一緒に暮らすことになる。大阪に帰ってくるよう促す母親の手紙や幼なじみの理央からの連絡が来るが、秋葉は無視し続ける。

そんなある日、秋葉が部屋に帰ると、嫌がらせに部屋の前に来ていた大学のサークルの会長たちに殴りつけられる。そこに帰ってきた春桜は悲鳴を上げる。秋葉は催涙スプレーで反撃し、秋葉の友人のカヤが男たちを撃退する。秋葉と別れさせようとするカヤを春桜は拒絶し、カヤは帰っていくが、そこに理央が来ていた。兄を慕う夏芽の思いを伝え、大阪に帰ってくるよう説得する理央だったが、母親や夏芽の思いを鬱陶しく思う秋葉は、理央を追い返してしまう。

19歳の誕生日を春桜、ジンとリィと3人に祝ってもらった秋葉。翌日、冬物の服を取りに春桜の部屋に向かった二人は、ベッドで朝まで抱き合い続ける。

第5章 半分色の違う血

年末、秋葉に両親が亡くなり、夏芽が重体との連絡が入る。 ジンが出してくれた車で京都の病院に向かった秋葉は、兄が帰省しないことに落ち込む夏芽を励ますための家族旅行で京都に向かう途中、父の居眠り運転で事故を起こし、両親は即死、夏芽は重度の脊髄損傷だと知らされ、夏芽への自責の念に駆られる。

メールに返信する余裕もない秋葉に、春桜は秋葉のもとを訪れていたが、理央が秋葉に会わせず追い返していた。夏芽は脊髄損傷で両足が動かなくなってしまい、これまで以上に秋葉を慕うようになっていた。春桜と連絡がつかない秋葉は姉の冬月に電話するが、戻れないなら春桜のことは忘れて、と告げられる。

そんなある日、秋葉は、看護婦から、夏芽に半分違う色の血には何色を混ぜたら同じ色になるの、と言われたと聞かされ、愕然とする。夏芽が転院した後、やってきたジンとリィから、春桜が妊娠して流産し、今は心機能が落ちて入院していると聞かされる。自分が春桜の発病の引き金を引いてしまったと、秋葉は絶望に打ちひしがれる。

第6章 12歳のポストマン

うつむいて黙っていた秋葉が顔を上げた時、千景は、かつての記憶がつながる。秋葉も千景のことを思い出していた。千景は秋葉に春桜の手紙を渡し、春桜を捨てたことを責める。 夏芽は、東京に行ってもいいと兄に伝えるが、秋葉は、一緒に東京に行こうと夏芽に告げる。

翌朝、千景は、秋葉が運転する酒屋の軽トラックで夏芽と一緒に東京に向かう。病室の前で、母親に会った千景は、無断外泊などで激高されると怯えるが、千景を見ずに秋葉に歩み寄って話す母親を見て、一瞬で母親を手懐ける秋葉は尋常ではないと思う。千景と夏芽が、秋葉を春桜の病室に押し込んで、二人きりにすると、母親は、春桜の手紙を届けた千景をねぎらう。振り仰いだ夏芽に一瞬息が止まった千景は、生きてさえいれば、恋だって始められる、と思うのだった。

(ここまで)

 

現在部分での人間関係は、小学生の千景の視点で語られることもあって、詳しくは明かされません。ただ、回想部分では春桜を煙たがっていた冬月は、看護のために正社員を辞めてパートになっており、第6章でも、春桜との関係が変わり、親身に感じているさまが描かれています。また、回想部分では春桜のボディーガードのように警戒して秋葉に敵意を抱いていた藤井カヤも、第6章で理学療法士として春桜の治療に関わっていることが明かされます。春桜への思いから出た行動だろうとはいえ、結果的に発病の一因となってしまったことへの自責の念があったのかなあと思います。こうした心境の転換がうまく表現されるとなお良かったような気もしますが、それは大した問題にはなっていません。

学校でいじめに遭っており、明日死のうと決意し、塾の月謝に手をつけて大阪に向かった千景が、秋葉や夏芽と出会い、春桜と秋葉の再会を見届けることを通じて、前向きな気持ちになって終わる、切ないながらも希望を感じさせる印象的な作品でした。