鷺の停車場

映画、本、グルメ、クラシック音楽、日常のできごとなどを気ままに書いています

東日本大震災から10年

2011年に発生した東日本大震災からちょうど10年の節目となる日を迎えました。

家族や親しい人を亡くし、あるいは住む場所や仕事を失い、いまだに苦しみ、傷が癒えていない方々も多いのだろうと思います。

咋春に岩手に家族旅行に行った際、釜石から陸前高田にかけて海沿いの地域を車で走りましたが、確かな足どりを感じる一方で、更地のままになっている場所も多く、まだまだ復興は道半ばであることを肌で感じました。

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私自身は、直接には家の物が落ちた程度の被害でしたし、親戚やこれまで縁があった知人などで命を失った方はいないのですが、それまでにないほどの衝撃的な出来事でした。当時の映像を改めて見ると、その時の記憶が鮮やかに蘇ってきます。

 

地震対策をしていなかった職場のロッカーは倒れ、ビルの階段の壁の一部には亀裂が入り、慌てて外に避難すると、余震で最上部が大きくゆったりと揺れる高層ビルを目の当たりにしました。

その日は、首都圏の鉄道はほとんど運行が取り止めとなり、職場に泊まることも考えましたが、ほぼ唯一運行を再開した東京メトロに乗って行けるところまで行き、そこから20km以上を徒歩で家に帰りました。都内から郊外に向かう幹線道路の車は大渋滞で、千葉県に入るまでは徒歩の方が速かったこと、日付が変わった深夜、まだ営業していたドンキホーテで帰宅のため自転車や運動靴を買う人を少なからず見たことなど、今から振り返ると異様な状況でした。

震災直後は、ガソリンが入手困難になり、開いているガソリンスタンドにけっこうな時間並んでやっとこ給油したり、電力不足で電車も計画運休になったり、計画停電で昼間電気が使えなくなる日が出たりしました。

地震の影響で一週間以上断水になってしまった知人の家に物資を差し入れに行って、震災から風呂に入れていなかった知人を車に乗せて日帰り温泉に行ったこともありました。

ほとんど報道されませんでしたが、千葉県でも旭市などで津波の被害を受けました。震災から1月ほど経った週末、わずかでも役立てばと風評被害もあった銚子に泊まりに行ったのですが、その途中で通った旭市の飯岡地区の惨状もそうですし、銚子で泊まったそれなりに大きな宿で自分たちのほかにもう1組しか食事が用意されておらず、普通の週末であれば賑わっていたであろう畳敷きの広い会食場がガラーンとしていたのもある意味衝撃的な光景でした(その宿はその後廃業になってしまいました)。

 

とりとめもない思い出話になってしまいました。復興に向けた取り組みとともに、昨年で25年となった阪神・淡路大震災もそうですが、この経験、教訓を忘れずに今後にいかしていくことも、大事なことなのだと思います。