(つづき)岩手旅行の2日目、11時半ごろに遠野ふるさと村を出発し、11時45分ごろに遠野インターから釜石道に乗り、無料通行区間に乗って釜石に向かいます。
12時10分ごろ、釜石ジャンクションで同じく無料通行区間の三陸道に合流。釜石中央インターで下りる予定だったのですが、出口が閉鎖になっていたため、仕方なくそのまま進んで、12時20分ごろ、1つ先の釜石北インターで下り、国道45号線で市街地方面に引き返します。
ラグビーワールドカップの試合が行われた鵜住居復興スタジアムの脇も通りましたが、国道からはスタジアムらしい施設は見えませんでした。走っていると、スタジアム周辺もそうですが、更地が目立つ場所も多く見られます。国道には、「ここから(ここまで)津波浸水区間」という看板がいくつも出てきて、東日本大震災の津波の傷跡を強く感じました。
12時半すぎ、釜石駅前の「駅前橋上市場 サン・フィッシュ釜石」に到着。
まずお昼を食べに、2階にある「海鮮 まえ浜」へ。
店頭のメニュー。お昼時ですが、まだ空席があって、すぐに入ることができました。
店内のメニュー。なお、この日はホタテが品切れで、丼ものなどに入っているホタテはマグロに変更になっていました。
お刺身盛り合わせ定食(税抜き1,852円)。お刺身はマグロ、カンパチ、タコ、イカ、イクラ、焼きウニの盛り合わせです。刺身は活きが良く、マグロはもちろん、日頃は食べないイクラやウニも美味しくいただけました。
すんなり入れたので、実はさほど人気のないお店なのでは、とちょっと心配になったのですが、お店を出ると、3組くらい待っているお客さんがいて、杞憂だったとほっとします。
食事後に1階の売り場を覗いてみましたが、空きブースもあって鮮魚店は3店ほど、ちょっと寂しい感じでした。
13時半ちょっと前に「サン・フィッシュ釜石」を出発して、10分弱で「鉄の歴史館」に到着。
屋外にはこんな展示も。
中に入ると、江戸末期からの釜石の鉄づくりの歴史が紹介されています。
官営製鉄所の建設以降の年表が4枚のパネルで紹介されていました。
こんな感じで、釜石の製鉄の歴史示が数多くのパネルで紹介されていました。
これは江戸時代末期に作られた日本最初の洋式高炉、今は世界遺産にも登録されている「橋野鉄鉱山」の模型図。
14時20分ごろに出発して国道45号線を南下、14時半ごろに釜石南インターから三陸道に乗って無料通行区間を仙台方面に走り、14時50分すぎに通岡インターで下りて再び国道45号線を進みます。
ちょうど15時ごろ、陸前高田市にある高田松原津波復興祈念公園に到着。
岩手、宮城、福島の被災3県に1か所ずつ整備される復興祈念公園の1つで、約半年前の昨年9月22日に中心部の主要施設がオープンしています。まだ整備途上で、全体の完成にはあと1年ほどかかる見込みのようです。
公園の案内図。上の案内図でグレーで表示されている中央の建物は、右側が「道の駅高田松原」、左側が「東日本大震災津波伝承館」になっています。中央のエリアは国営追悼・祈念施設として整備されています。
「祈りの軸」。正面奥に見えるのが「海を望む場」。
階段を上がったところにある「海を望む場」には、献花台も設けられていました。
「海を望む場」から太平洋を望みます。手前は津波で失われた松原を取り戻すための松の植樹でしょう。
ぼんやり眺めていると、かつてテレビのニュースなどで見た、ここに津波が襲ってきたあの日の風景の幻想が襲ってきて、涙がこぼれました。
「海を望む場」から右方向に進むと、「奇跡の一本松」がありました。写真の左側は震災遺構の1つである「陸前高田ユースホステル」。正面奥に見えるのが、同じく震災遺構の1つである「気仙中学校」です。整備が終わって全面オープンしたときには、これらの遺構も見学できるようになるようです。
「奇跡の一本松」から、再び道の駅周辺に戻ります。写真右側の白い三角形の建物は、同じく震災遺構の1つである旧道の駅の「タビック45」です。
「奇跡の一本松」から戻って、東日本大震災津波伝承館を見学します。
中には、当時の津波の実際の映像を含め、震災の概要、被害のすさまじさ、そこで災害に立ち向かった様々な方の取組などが紹介されていました。
伝承館を出て、反対側の「道の駅高田松原」に入ると、入口にこんなコーナーもありました。
道の駅で買い物をして、16時すぎ、この日の宿に向けて出発しました。(つづく)