鷺の停車場

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「この世界の片隅に」舞台挨拶@キネマ旬報シアター

キネマ旬報シアターで「この世界の片隅に」の片渕監督の舞台挨拶に行ってきました。

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片渕監督は、12:45~「マイマイ新子と千年の魔法」上映後の舞台挨拶⇒13:15~「この世界の片隅に」上映後の舞台挨拶⇒挨拶終了後、両観客対象のサイン会、というハードスケジュール。

ロビーには、ロケ地マップの展示もありました。

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館内は、先日「マイマイ新子と千年と魔法」を観に行ったときの閑散とした雰囲気とは全然違って、すごい人混み。
この世界の片隅に」はもう何回目かですが、満席&立ち見は初めて。
前半は無遠慮な物音があちらこちらで目立って、今一つ集中しにくい雰囲気。
でも、終盤に向かうにつれ静まり、集中していくのは作品の力のなせる技か。

上映終了後、間もなく片渕監督が登場。

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以下、片渕監督の挨拶のほぼ全体です(聞き取りのため、正確性はご容赦を)。

よろしくお願いします。片渕です。

なんか、こんなたくさんの方々に、お立ち見まで含め、観ていただいて、ほんとに今日はありがとうございます。

ほとんど、ほんとに同時上映で、マイマイ新子と千年の魔法を隣のスクリーンでやっていただいて、実は今、マイマイ新子の方の上映終了後の舞台あいさつをやって、ここに来たんですけど、なぜか、両方聞いていらっしゃる方がいらっしゃる(爆笑)。同じネタは使えないなと、(爆笑)よく考えたら別の映画でした。

実は、マイマイ新子と千年の魔法という映画は、すごくその、4月とか5月の、大きな麦畑にそよいでいる、そういう景色が印象的な映画でして、そのことについて、今隣のスクリーンでお話させていただいてたんですけども、ちょっと関連するお話としまして、すずさんがお嫁に来た呉では、段々畑がたくさんありまして、で、あれはいつぐらいからあったかというと、もう、明治になる前、江戸時代からあんな光景があったらしいです。で、江戸時代、呉だけではなくて、広島の瀬戸内海のあたりの島々の、島のてっぺんに近いところまで、ずうっと段々畑が続いていて、で、そこに最初は麦だけ植わっていたというんですね。その話を聞いて、マイマイ新子で作った麦をもう一回使えるかなとは思ったんですけど、そういうような、おんなじような光景の中に、2本の、自分が作った、続けて作った2本の映画の主人公がいたんだなあというオチです。

で、その、すずさんがいる、でいつも軍艦を眺めている畑、段々畑も、たぶん昔には麦がたくさん植わってたんだろうなと思うんですね。

ただ、麦というのは、冬とか春とかの作物ですから、昔その、あのあたりにそんなたくさん麦の段々畑が作られておる。でも段々畑ですから、水を引けないので、田んぼにできなかった。なので、江戸時代の中期にさつまいもが入ってきて、やっと1年中作物が植えられるようになったという、どうもそういうところであるみたいなんですね。

戦時中はだから、さつまいもも植わっていたでしょうし、かぼちゃも、すずさんが作ってたみたいなかぼちゃも植わってたんだろうなあと思います。

僕らも、段々畑は、非常にその、印象的な絵なので、何とかして描きたいなあと思ったんですが、あの、呉で、今段々畑ほとんど残っていなくなってしまいまして、で、残っているところに行くと、畑が、何て言うんですかね、縦の垂直になっているところが、石垣のところと、土のところとありまして、で、何しろすずさんがそこから落っこったりするものですから、どっちが正しいのかなあと思いまして。

で、そういうのっていうのは、呉がありまして、呉からずうっとこう、例えば船でずうっと行くと、広島の前を通って、宮島の前を通って、柱島の前を通って、で、山口の周防大島の前を通って伊予灘に出るんですけど、軍艦もそうなんですけど、その周防大島出身の宮本常一っていう民俗学者の方がいらっしゃって、この方は1981年に亡くなった方ですので、写真をたくさん撮っておられた。で、特に段々畑には注目して、たくさん、たぶんそこの、宮本常一記念館という、周防大島のところに行くと、たくさん写真残っているんではないかなと思って、すずさんがいた風景とかも絞れるのではないかなと思って行ってみましたら、学芸員の方が、僕が前に作った「BLACK LAGOON」という作品のファンの方で(爆笑)。

で、宮本常一という人は、学者さん、映画には全然関係ないんですけど、あのあたりって、昔どんな風景だったのかっていうのをたくさん記録に残していらっしゃって、中には、宮本さんが撮った写真に写ってた女の子、隣でやってたマイマイ新子のもう1人のヒロインの貴伊子ちゃんという子の夏服のデザインもそこから取ってたりするんです。

で、その、宮本常一さんの撮った写真たくさん残っているかなと思ったら、宮本さんっていうのは、これくらい(右手でスマホ大の大きさを表現)のちっちゃいカメラを片手に持って、こうやって(左右に体を振る)撮りまくるんで、ほとんど手ブレなんです(爆笑)。呉線にも乗って、いっぱい写真撮って、呉線で移動しながらこうやって写真撮ってるんで、みんな手ブレなんです(笑)。写真はたくさんあるんですけど、写っているものが少ない(笑)。

で、段々畑、島々の、呉の周辺の島々、広島湾を取り巻く島々の段々畑についても、たくさん何か写真は、一応ブレてないものとかも残っているし、いろんな論文みたいなの書かれたというお話を聞いたので、その学芸員の方に、土だったんでしょうか、石垣だったんでしょうか、と聞いてみたら、両方あって、島によって違うみたいです、というお話でした。じゃあ、呉はどうだったんでしょう、と聞くと、宮本常一っていう人は、島の段々畑を調べるのが目的だったので、呉には行っていないみたいなんですよ、ということになりまして。すごい、結局困って何だかわからなくなったという、まあそれだけのお話です(笑)。

何か、すずさんがいたぐらいの頃の時代なんかでも、そうやって調べてみようと思うと、ずいぶん、何かいろんなものが遠くなってしまったんだなあと思いつつ、でも、あそこにはかつて麦が植わってたんだなあとか、麦がたくさん風にそよいでいた5月があの、すずさんの、いつも軍艦を眺めていた畑にもあったんだなあとか、そういうふうに思うと、またちょっと違う、あの、この絵、今御覧になった映画に描かれていただけではない、呉の好情景、まわりの光景みたいなのがまた見えてくるんじゃないかと思います。

ちなみに言いますと、すずさんの段々畑は、石段からこっち側(右手を広げる)が石垣で、向こう側(左手を広げる)が土にしてあります(笑)。

今ここは、キネ旬キネマ旬報シアターっていうことですけども、キネ旬キネマ旬報では、昨年の映画、2016年に公開された映画で、ベストテンというのを、毎年やってらっしゃる中で、「この世界の片隅に」は、その1位、ベストワン、日本映画のベストワンに選んでいただいて、ロビーに出るとその展示もあります。2位が「シン・ゴジラ」でその後に続くんですけれども、ここの映画館で、ちょっと前に「シン・ゴジラ」とか「ゴジラ」とかの上映もあったり、それから、この先に、「淵に立つ」、深田監督の写真と、この後には中野監督の「湯を沸かすほどの熱い愛」があって、みんなその、去年、2016年に並んで上映されていて、たくさんの映画祭、映画賞で、一緒に並んで、表彰をもらったり、上げていただいたりとか、した仲間みたいな、何か、すごくその、何と言いますかね、同級生みたいな気がしています。そういう映画を、この1つの映画館の中で、続けて上映されて、僕もなんですけど、たぶん、ちょっと前には深田監督が来て、今度は中野監督が来て、ということになっていて。ほんとにこの映画、マイマイ新子(爆笑)、マイマイ新子の方ではこの世界の片隅にって言っちゃったんですけど(爆笑)、いろんな映画の中で、そういう映画と並んで、上映されたりとか、まあ、受賞させていただいたりとか、出ることがあって、今年の前半はずいぶん続いたんですけども、それがほんとにまたこう、何というか、幸せだったなあと思います。

もう1つ、実はロビーに、この映画館でやったお客さまにアンケートして2016年のベストテンを決めていただいたものでも、この世界の片隅にが1位をいただいて、それもロビーに掲示してあるんですけど、上映していただいてないのに(笑)、ほんとに何か、どうしたことでしょうということですけど、ありがたい限りだと思います。

まだまだ、「この世界の片隅に」は、あちこちの映画館で上映が続く機会がこれからもまだまだ続くと良いなと思ってます。またどっか別のところで上映がありましたら、僕もまたこうやって舞台挨拶をやらしていただこうと思います。

ということで、今日はこういうことでしたが、またどっかでお目にかかれる機会があることを願っています。また、すずさんにお目に、会いに来ていただけると嬉しいです。

今日はどうもありがとうございました。(拍手)

終了後、サイン会。

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快く、一緒に写真に応じてくださいました。
お疲れの中、おそらく300人近くの方にサインされたのだろうと思います。

片渕監督、本当にありがとうございました、

ウィーン・フィルのストラヴィンスキー(その3)

シリーズ?最後はマゼール/ウィーンのハルサイです。

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〇ストラヴインスキー/舞踊音楽「春の祭典
ロリン・マゼール指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(録音:1974年・ゾフィエンザール)

現役盤はこれでしょうか。

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」/R.シュトラウス:町人貴族

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」/R.シュトラウス:町人貴族

 

 ハルサイと言えば現代音楽の入門編的なイメージもありますが、作曲・初演されたのは1913年ともう100年以上前。

大正2年と聞くと一気に古典のような気がしてくるのが不思議です。

さて、演奏の方は、オケのアンサンブルは一応整っているものの、お世辞にも鮮やかとはいいにくい。録音も40年以上前、ウィーン・フィルもこの手の曲への苦手感は今と比べても相当強かったのだろうと想像します。

しかし、本盤が面白いのは、マゼールがまるでそれを逆手に取ったかのような粘っこい表現を採り、それが一般的なウィーン・フィルのイメージとは対極の一種野性的な雰囲気を醸し出していること。

例えば・・・

春のロンドの盛り上がった部分(トラック1の10:11・スコア練習番号53以降)で金管グリッサンドをテヌートで強調してみたり、

賢者(長老)の行進の少し前に始まるテノール&バステューバの旋律(トラック1の13:36付近・スコア練習番号64以降)で四分音符で動く分散和音を強調してみたり、

選ばれし生贄(乙女)への賛美の1小節前、打楽器&弦楽器の11連打(トラック2の7:34以降)で、テンポを一般的な演奏の倍くらいグッと落としてみたり、

祖先の霊への呼びかけ(トラック2の9:22以降・スコア練習番号121)、リズミカルに演奏するのが多いところをレガート気味にしてみたり、

祖先の儀式(トラック2の10:18以降・スコア練習番号129)、ホルンの頭打ちの四分音符、弦のピッチカートに合わせ短めが多いところを、わざわざ長め(といっても8分音符テヌートくらいだが、他の演奏と比べると相当長め)にテヌートしていたり、

最後の生贄の踊り(トラック2の13:50以降・スコア練習番号142)で、8分音符の部分を音価いっぱいテヌートして16分音符との差を極端に付けてみたり、
といったことが、何ともいいがたい効果を挙げています。

全くの余談になりますが、生贄の踊り、スコア練習番号177(16:42)付近からのホルン1,3,5,7番のグリッサンド対決は、1番の優勢勝ちに終わっています。

と、いろいろ書きましたが、本盤の一番の聴き所は、第2部の冒頭、序奏~選ばれし生贄への賛美の静かで落ち着いた部分です。ここではウィーン・フィルの通常言われる魅力が十二分に発揮されていて、さすがと思わせるものがあります。

因みに、マゼールは、その後、クリーヴランド管と再度録音しています。

私もかなり昔に聴いた記憶がありますが、本盤の印象が大きすぎて、オケは極めて上手だったという印象しか残っていません。

ウィーン・フィルのストラヴィンスキー(その2)

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ストラヴィンスキー:舞踊音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)
 クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 (録音:1977年12月・ゾフィエンザール、ウィーン)

前回に続きドホナーニ/ウィーン・フィルストラヴィンスキーです。

現役盤はこちら。

Stravinsky: Petrushka / Bartok: Miraculous Mandarn

Stravinsky: Petrushka / Bartok: Miraculous Mandarn

 

華やかな響き、あるいは鮮やかな技巧で魅惑するタイプの演奏ではなく、落ち着いた音色で実直に組み上げています。いぶし銀的な演奏と言えばイメージが掴みやすいでしょうか。

といっても、音がくすんでいたり技巧的に見劣りしていたりということは決してなく、各楽器のソロも巧いですし、気になる程のアンサンブルの乱れもありません。むしろ精密に思えるほどです(これはオケの余裕のなさが表れた面もあるかも・・・)。

 録音も、アナログ最後期ということもあり、ほどよく響きを残しつつ、全体がクリアにバランス良くまとまっています。

オケと指揮のそれぞれの良さが活かされ、持ち味が十分発揮された快心の演奏ではないでしょうか。

なお、本盤では、作曲当初の4管編成の1911年版ではなく、後に作曲者がアレンジし直した3管編成の1947年が使われています。

手もとに1911年版のスコアしかないので細部の違いは分かりませんが、聞き比べる限り、1947年版の方が良くも悪くも整理されてスッキリ感が強い気がしますので、1911年版でやったの方がウィーン・フィルの良さがより出たのでは、と思ったりもします(ない物ねだりですが)。
(ちなみに、ウィーン・フィルは本盤の約20年後の1998年にマゼールと1911年版を録音しているようですが、残念ながら未聴です)

カップリングのバルトーク中国の不思議な役人」(全曲)もなかなかですが、こちらはまたの機会に。