鷺の停車場

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三秋縋「君の話」

三秋縋さんの小説「君の話」を読みました。 その紹介と感想です。

君の話

君の話

  • 作者:三秋 縋
  • 発売日: 2018/07/19
  • メディア: 単行本
 

先に読んだ「三日間の幸福」が意外に良かったので、違う作品も、と思って手に取ってみた作品。 

単行本書き下ろしで、今のところ著者の最新作のようです。

 

背表紙には、次のような紹介文が掲載されています。

【二十歳の夏、僕は一度も出会ったことのない女の子と再会した。架空の青春時代、架空の夏、架空の幼馴染。夏凪灯花は記憶改変技術によって僕の脳に植え付けられた〈義憶〉の中だけの存在であり、実在しない人物のはずだった。「君は、色んなことを忘れてるんだよ」と彼女は寂しげに笑う。「でもね、それは多分、忘れる必要があったからなの」
 これは恋の話だ。その恋は、出会う前から続いていて、始まる前に終わっていた。】

20歳の男子大学生・天谷千尋は、架空の記憶を植え付ける薬を飲んで、夏凪灯花という幼馴染との青春の記憶が刻みこまれる。しかし、ある日、架空の幼馴染だったはずの夏凪灯花と出会う。千尋は疑念を持って接するが、灯花は幼馴染だと言い張る、奇妙な交流が始まる。それは、灯花のあることから始まったことだった・・・というあらすじ。

以前に読んだ「三日間の幸福」と同様に、現実にはない設定が設けられています。

  • 記憶を消す「レーテ」や青春時代の架空の記憶(義憶)を提供する「グリーングリーン」といった記憶を改変する薬(ナノロボット)が入手可能であり、カウンセリングで得られた情報を整理したドキュメント(通称「履歴書」)に基づいて、義憶技工士によって作られている。

  • 従来のアルツハイマー病と違う新型アルツハイマー病(AD)という病がある。古いものから順に記憶が失われていく病気で、いったん発症すると、治療法はなく、数年で確実に死に至る。なお、義憶は忘却に一定の耐性があり、本当の記憶がすべて失われた症状の最終段階でも義憶はしばらく残るといわれている。

この2つの設定が、物語の大きな前提条件になっています。

本編は、次の12章で構成されています。ネタバレになりますが、おおまかな内容を紹介します。

01 グリーングリーン

灰色の少年時代を送ってきた19歳の「僕」は、記憶を消す〈レーテ〉を買おうとバイトで金を貯め、クリニックでカウンセリングを受ける。1ヶ月後に届いたナノロボットを飲むが、それは〈グリーングリーン〉で、「僕」に夏凪灯花という幼馴染との記憶が刻まれる。手違いをしたクリニックからは少年時代の記憶を消す〈レーテ〉と、灯花との記憶を消す〈レーテ〉が届くが、「僕」は〈レーテ〉を飲むかどうか揺れる。そんなある日、神社の夏祭りで灯花にそっくりな女の子に出会う。

02 蛍の光

あの一件から、灯花との思い出の渦に巻き込まれることが増えた「僕」は、灯花との記憶を消す〈レーテ〉を飲もうと試みるが、決心がつかないまま飲み屋で泥酔する。朝に家に帰ると、アパートの隣の部屋から、灯花そっくりの女の子が顔を出し、「……千尋くん?」と声を出す。「僕」も「……灯花?」と女の子の名前を呼ぶ。

03 パーシャルリコール

翌日、目を覚ました千尋は、実在しないはずの灯花を名乗る女の子が現れたことについて、様々な可能性を考える。家に帰ると灯花が部屋に入って料理や洗濯をしていた。千尋は灯花を追い出すが、灯花は「私は、千尋くんの味方だから。何があっても」と語る。千尋は、自分が記憶を失った可能性も考えて、実家に帰って部屋で少年時代の手がかりを探すが、何も見つからない。

04 まっしろですね

千尋は、図書館などで本当の記憶を義憶と勘違いした例があるか資料を調べ、SNSで当時の同級生のアカウントを検索する。見つかった同級生のうちの1人、桐本希美に連絡を取り、中学校の卒業アルバムを見せてもらうが、夏凪灯花という女の子はいなかった。

05 ヒーロー

灯花を名乗る女の子は、千尋が一度激しく拒絶してからしばらく、千尋の部屋に顔を出さなくなっていた。台風の日、千尋は灯花との思い出の記憶が頭をめぐる。台風が近づいた日に喘息の発作を起こした灯花の思い出が頭に浮かんだ千尋は、衝動的に隣の灯花の部屋のドアを激しく叩いて名前を呼ぶ。そして千尋は灯花に再会する。

06 ヒロイン

本当は灯花が実在しないと確信する千尋に灯花は、嘘つきの灯花の演技に付き合っているという口実を与え、2人は親しくなっていく。しっかり生きていけると証明したら知りたいことを全部教えると灯花は言い、千尋はそれを証明するために、それからの20日間、規則正しい生活を送ることになる。最後の日、灯花は、この夏が終わったら姿を消す、と言い、翌日に姿を消す。

07 祈り

灯花が消えて数日後、数少ない友人の江森から、夏凪灯花の正体がわかったと連絡が入る。江森から見せられた3年前のニュースサイトの記事には、17歳の天才義憶技工士、の見出しと、見慣れた灯花の写真があった。千尋が調べると、彼女は16歳で義憶技工士として採用され、3年ほどの間に50もの義憶をつくって注目されたが、20歳を目前に姿を消していた。灯花の真意が何なのか、千尋の思考は空転する。翌日、部屋を出た千尋は灯花の姿を見つけ声を掛けるが、灯花は千尋の名前を忘れていた。

 

本章までは千尋の視点から描かれていますが、次の章からは、灯花の視点から描かれます。本章の最後には、灯花がよく聞いていたレコードになぞらえて、「物語はここからB面に移行する。」と記されています。

08 リプライズ

喘息を患い、孤独な中学・高校時代を送っていた松梛灯花は、幼馴染の恋人を夢想し、あのとき〈彼〉がいたらどうだったのか、緻密にシミュレーションするようになっていた。そして、義憶技工士という職業があることを知って、直感的に自分のためにある仕事だと悟った灯花は、16歳で大手クリニックで働くようになると、その仕事は評判を呼び、父親を超える年収を得るようになる。しかし、19歳の時、新たな病が見つかる。

09 ストーリーテラー

灯花は、たまたま受けた検査で新型アルツハイマー(AD)が見つかる。家で一人きりで過ごすようになった灯花の中で〈彼〉との物語が存在感を増していき、ついには実在するのではないかと妄想するようになる。久しぶりに故郷に帰り、同級生との飲み会にも参加するが、灯花を覚えているクラスメイトは一人もいなかった。

10 ボーイミーツガール

それから半年、仕事に専念するようになった灯花がある仕事を仕上げて帰宅したとき、床に転がっている1束の〈履歴書〉が目に入る。それは同い年の男性・天谷千尋の履歴書だった。それを読みだした灯花は、雷に打たれたような衝撃を受け、出会うべきだった人だと確信する。灯花は、自分の〈彼〉との物語を綴り、千尋視点のナノロボットを作るだけでなく、自分視点のナノロボットも作り、自分にも義憶を植えつける。そして、クリニックを辞めた灯花は、千尋に会って積年の夢を実現しようと、千尋の隣の部屋に引っ越し、会うことに成功するが、千尋の強い虚構アレルギーに苦しむ。一度は諦めて自殺を考えた灯花だったが、台風の日、自分の部屋のドアを叩く千尋を見て、もう少しだけがんばってみようと思い直す。

 

本章までが灯花からの視点の物語で、次の章からは再び千尋からの視点に戻ります。

11 君の話

9月の末、千尋のもとに、灯花の〈履歴書〉と手紙が届く。手紙には、自分が新型ADである告白と、義憶を利用したことの謝罪が記されていた。そして〈履歴書〉を読んですべての真相を理解した千尋は、彼女を救えなかったことを強く後悔し、灯花が入院している病院を訪れる。もう千尋との義憶しか残っていない灯花は千尋を疑うが、千尋は、かつて灯花がしたのと同じ方法で接していくうちに、灯花は千尋を「詐欺師さん」呼ばわりしながらも、次第に親密になっていく。ついに義憶も消え始めた灯花は、千尋に2人の話をするよう頼み、千尋は幼いころからの灯花との義憶を語って聞かせる。話を聞き終えた灯花は、私のくだらない嘘に付き合ってくれてありがとう、とお礼を言い、2人はキスをする。その翌日、灯花の容体が急変し、短い生涯に幕を下ろす。

12 僕の話

それから10年が経ち、千尋は大学を中退して義憶技工士になり、そこそこ名の知れた義憶技工士として第一線で働いていた。灯花の死を乗り越えようとは思わない千尋だったが、久しぶりに故郷を訪れてたまたま出会った夏祭りの会場で、彼女の姿を見つけ、振り返る。小さく微笑んで再び歩き始めた千尋には、さよなら、と背後から聞こえた気がした。

(ここまで)

 

非現実的な設定の上で、独りぼっちで空虚な生活を送っている20歳ごろの男性の一風変わった恋物語を描いている、という点は、前に読んだ「三日間の幸福」とも共通します。ただ、語り口はかなり違ってきていて、本作の方が、よりシリアスになっている印象です。これには、両作の間の年月の経過が影響しているのかもしれませんが、個人的には、本作の雰囲気はかなり良かった。

上記の各章の紹介では省きましたが、物語の随所に、千尋が思い出す形で、幼馴染の灯花との架空の思い出(=義憶)が挿入されています。その描写は叙情的で、鮮やかです。

よくよく読むと、細部には、つじつまが合っていないところもあるように思いましたが、強い印象が残る作品でした。