鷺の停車場

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彩瀬まる「やがて海へと届く」

彩瀬まるさんの小説「やがて海へと届く」を読みました。

本作を原作にした映画は、4月にスクリーンで観ていました。

reiherbahnhof.hatenablog.com

 

映画自体は微妙なところもありましたが、印象に残ったので、原作も読んでみることにしました。

本作は、2016年2月に単行本として刊行された作品で、2019年2月に一部加筆・修正を加えて文庫本化されています。

背表紙には、次のような紹介文が掲載されています。 

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一人旅の途中ですみれが消息を絶ったあの震災から三年。今もなお親友の不在を受け入れられない真奈は、すみれのかつての恋人、遠野敦が切り出す「形見分けをしたい」という申し出に反感を覚える。親友を亡き人として扱う敦を許せず、どれだけ時が経っても自分だけは彼女と繋がっていたいと悼み続けるが——。

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主な登場人物は、

  • 湖谷 真奈:主人公の28歳の女性。今はホテルの最上階にあるダイニングバーの準社員でフロアリーダーを務める。

  • 卯木 すみれ:真奈の大学からの親友。東日本大震災陸前高田付近で津波で行方不明となったままとなっている。

  • 遠野 敦:大学時代からのすみれの恋人。

  • 国木田 聡一:真奈が働くダイニングバーのキッチンリーダー。

  • 安達さん:真奈が働くダイニングバーの準社員の50代の女性。

  • 楢原 文徳:真奈が働くダイニングバーの店長。真奈に優しく接するが、異動の直前、自ら命を絶つ。

というあたり。

本編は数字で区切られた14章から構成されています。各章の概要・主なあらすじは次のようなもの。

 

真奈が働くダイニングバーに遠野が訪ねてくる。引っ越しすることになり、部屋に残るすみれの荷物を処分するので、引き取りたいものがないか立ち会ってほしいという。真奈は大学二年生のときにすみれといった旅行のことを思い出す。

寂れたバス停で老婆に声を掛けられた「私」は、田舎道を歩き出すが、再び老婆に出会い、家に招き入れられる。ここでずっとばあちゃんと暮らそう、という誘いを振り切って外に出る「私」に、老婆は、誰も守ってやれない、一人でも最後まで行くんだよ、と声を掛ける。歩き出した「私」がトートバッグの中を覗き込むと、白い小魚が入った透明なビニール袋が入っていた。

遠野の部屋に行った真奈は、見覚えのあるすみれの麦わら帽子を見つける。真奈は大学三年生のとき自分の部屋にすみれが転がり込んできたときのことを思い出す。遠野と真奈はすみれの荷物をすみれの実家に持っていく。

道の途中で恋人に会った「私」。気がつくと夜になっていて、泣きぼくろのある男性と出会った「私」は、その男の部屋に向かう。それから時間が過ぎて、「私」は男から靴を贈られる。その靴のおかげで、男のいない場所でも幸せになった「私」だったが、気がつくと自分だけが一人で歩いていた。

すみれの実家から遠野の部屋に戻った真奈は、遠野と思い出を語り合う。遠野やすみれの母親がすみれを死者として見る態度に違和感を感じる真奈は声を荒げるが、あいつは歩いていると思う、俺たちがずっと同じところにいたら、置いていかれる、との遠野の言葉にハッとする。

長い一本道を歩いていた「私」は、現れた小料理屋に入ると、かつての感覚がよみがえる。気がつくと、草が生い茂った川べりの道を歩いていた。鉈で草や藪を切り払いながら歩いていくと、かすかな悲鳴が聞こえ、数えきれないくらいの気配に取り囲まれる。音、匂い、それらに触れた瞬間の喜びやおかしみが、小さな銀河を作っていた。

出勤した真奈は、少し遅れそうだとの楢原からの電話を受ける。開店から1時間経っても楢原が出勤しないことに違和感を感じた真奈は、楢原に電話をかけるが出ない。休みの国木田に電話をかけて事情を話すと、国木田は楢原の家に行くと住所を聞き出す。午前零時を回ったころ、国木田からの電話で、楢原が自殺したことを聞かされる。閉店後、国木田の口からスタッフに楢原の死が伝えられる。

大きな地震の後、点検作業のため復旧は未定、とアナウンスが流れる駅前。「私」は今晩の寝床と帰る道筋を確保しようと歩き始める。線路沿いに道を歩いていると、林から黒い泥水があふれ出してきて、逃げようと走り出すが、意識を吹き飛ばす途方もない圧力が背中を襲う。意識が途切れる間際、帰れない、あの人たちには二度と会えないとわかった「私」。ひどい夢から浮き上がると、古いバス停のベンチに座っており、どこか見覚えのある老婆が立っていた。「私」は再び歩き出す。

楢原の葬儀が終わり、新しい店長が着任すると、お店の雰囲気は変わっていく。国木田は真奈に気分転換を勧め、特に行くあてがないなら実家の埼玉の民宿に来ないかと誘い、真奈はそれに乗ることにする。

10

気がつけば、また古びた駅の待合室のベンチに座っていた。同じくベンチに座っていた女と話しているうちに、急にそばにいるのが耐えられなくなり、歩き出すが、見覚えのある林沿いの一本道に迷いこんでしまう。そこに地震の揺れがやってくる。揺れが小さくなるのを待って悪路を進む「私」だが、黒くにごった水に襲われ、意識が断たれていく。気がつくと、「私」はまた同じ駅の待合室に立っていた。再び女と話し、女が駅舎を出た後、「私」は歩き出し、小魚を早く海に放してやらなければと海に向かうが、岩のような水圧が背後を襲う。

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真奈は最後にすみれに会ったときのことを思い出す。国木田との約束の日、国木田の車にのって埼玉の国木田の実家の民宿に行き、国木田と裏山を歩き、食事をしながら話をしているうちに、国木田の優しさを感じる。帰りの車で、二人はキスをする。

12

「私」は、白砂が敷き詰められた海岸の波打ち際に立っていた。振り返ると、女が一人立っていた。こんな場所ばかりでなく、次は向こうで会いたいね、と言って女は砂浜の果てに去っていく。靴を脱いだ「私」は、これは卯月すみれの靴だ、靴を脱いだことでまた一つ彼女から遠ざかったのだろうと思う。気がつけば、「私」は一個の白い石となって、日暮れの浜に埋もれていた。

13

国木田と恋愛関係になった真奈は、秋の彼岸に、遠野とすみれの墓参りに出かける。好きな人ができたと話す真奈は、許してもらえるかなと口にする遠野に、すみれができなかった分も、自分を大事にした方がいいと背中を押す。ある明け方、真奈はすみれの夢を見る。目が覚めると、すみれが会いに来てくれたと遠野から電話がかかってくる。

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温かな砂がやさしく「私」を洗う。風に、生きることはとてもさみしくて苦しかった、と話しかける「私」に、風は、ずっとここにいたっていいよ、でも、あなたはいずれここを去るだろう、と話す。「私」に呼び声が聞こえる。動き出さずにいられなくなった「私」は、帰ってきたよ、と大きな声で泣きながら、自分を救い上げようとする一対のてのひらに飛び込む。

 

 

(ここまで)

 

奇数章は真奈の視点から、偶数章は、津波に遭ったすみれのように思われますが、 名前が明かされない女性?の視点から、それぞれ描かれています。偶数章は、現実の世界ではなく、ある女性が夢、あるいは想像で見た世界を描いたような描写で、私にはちょっと理解が難しいところがありましたが、津波に遭ったすみれが、自分を赦す過程を描いたのだろうと思いました。とすると、本作は、真奈とすみれが、それぞれすみれの死という喪失から再生していく物語ということなのだろうと思って読みました。

ちなみに、映画版では、本作に手を加えて異なっている部分が多くありましたが、これは読者の想像に委ねられる小説だからこそできる描写で、これをこのまま映像化することは確かに不可能だろうと思います。